宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

ちょっと戻って

冒頭の座談会と浦沢インタビューの間に置かれた藤本由香里さんの「「日本マンガ学会」ができるまで」と、ササキバラゴウさんの「まんが表現行為について」にも触れておきましょう。
藤本さんの方は、日本マンガ学会の今日に至る歩みをコンパクトにまとめたもので、学会員でない方に向けての広報としては非常によいものだと思います。最大の特徴は、あくまでマンガ学会の存在と活動、そしてこれからについて、肯定的に語っている点でしょう。設立に向けての会合などで「学会なんて時期尚早っすよ!」と言い続ける内に、なぜか「設立準備委員」になってしまった僕としては、マンガ学会はほんっとに問題だらけで、でも全く何も生み出していないとも言えない程度には事務局の吉村和真さんたちががんばっていると思う以上、もう付き合うしかない、というようなスタンスなので、とてもこんなふうにはまとめられない。で、藤本さんだってそういう色々な問題点が見えてないわけではないことも知っているので、藤本さん偉いな、と思うわけです。だって、これだけ限られた紙幅の中で、学会の来し方と現状と行く末を、全面的にきちんと論じきるなんて事はできないわけで、ならば、まずはいい面を中心に、しかも一会員として学会で何に出会えたかという観点から書く、というのは、正しい選択だったろうと思います。
次のササキバラさんの論考は、副題に「まんが教育の立場から」とあるように、学校という場でマンガを、それもマンガという表現を行為することを、「教える」という困難にきちんと向き合うための前提作りとして、「表現論」を組み立てなおそうという試みの第一歩になっています。非常に煮詰められた簡潔な文体で書かれていますが、その射程は長いです。僕が夏目さんの『マンガ学への挑戦』に感じた不満の大半は、この論考で解決されていました。ぜひ『挑戦』との併読を強くおすすめします。

一つ気になったのは、この論考では、「まんが表現は…絵、文字、線を書き、それらを総合し構成する行為である」として、マンガ表現を成り立たせている三要素として、「絵・文字・線」を挙げている点です。夏目さんたちの『マンガの読み方』以来の、「絵・言葉・コマ」と違って、「コマ」を「線」に置き換えているんですね。(多くの場合)「コマ」を成り立たせる枠線も、「線」だということなのでしょうか。しかし、ならばマンガの場合「絵」も基本的に「線」で成り立っているわけで、「絵」と「線」を分ける必要などなく、「線・文字」で成り立っていると言ったっていいわけです。実際夏目さんの表現論では、「絵」は、まずは「描線」の問題として扱われています。僕はササキバラさんの仕事を全部フォローしているわけではないので、すでにどこかで述べられているのかもしれませんが、この点は、やはり、この論考の中で、説明をしてほしかったところです。