宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

連続講演会の第1回

 今日は朝から熊本に行き、午前中は喫茶店でちょこっと原稿を書き、午後は、CAMKで「井上雄彦という稀代のマンガ家の持つ魅力を多面的に読み解く連続講演会」の第1回、今回の「熊本版」の担当学芸員・冨澤治子さんによる「「井上雄彦 最後のマンガ展」というマンガ、その特徴について」を聞いてきました。
 素晴らしい内容でした。
 今回の展覧会の最大の特徴は、既発表作の原画を並べるのではなく、展覧会場全体を使って、この展覧会のために描き下ろされた約140点の絵(と言葉)で、来館者がそこで初めて読むことになる、一つの物語を物語る、というところにあるわけです。
 しかし、大きな空間全体を使って物語る、という絵画表現の歴史は、壁画などの形で、人類の長い歴史の中に、広く、長く、存在してきたわけです。
 今日の冨澤さんのお話は、まずはそうした、壁画のうち、東西の特に著名なものを取り上げるところから始まりました。美術史の文脈でこの展覧会を論じるとすれば、当然そうなるといえばそうなのですが、そんなふうにきっちり基礎を押さえた上で、では古今東西の壁画表現の基本形態と、今回の井上展の違いはどことどこなのかと問う形で本論に入ってもらえると、マンガに詳しくない人にも、逆に美術史に詳しくない人にも、非常に分かりやすい導入になっていたと思います。
 壁画と今回の展示の最大の違いは、当たり前といえば当たり前なのですが、壁画が、ひとつの壁面に一画面で表現されている(それが建物内部の四方の壁や天井に展開される)のに対して、井上展は、物語を構成する約140点の絵が、まさに約140点の絵として、分割されており、建物の空間には固定されない可動性を持つ、という点です。
 これによって、上野の森からCAMKへと巡回することもできるわけですし、上野の森なら上野の森、CAMKならCAMKの、それぞれ独自性を持った空間に応じて、配置を変えることもできるわけです。そして単に建物の空間に合わせるだけでなく、その複数の絵の配置の微妙な変更一つで、その空間のあり方自体をある程度操作することができる。
 また、一点一点の絵を、それぞれ場面に応じて、素材や大きさや形を変えることで、通常のマンガなら見開き2ページの中にレイアウトされた、さまざまな大きさや形のコマを、いったんページ面から解放し、空間的に再配置することで、その演出効果をさらに高めることができる、ということが、実際に展示の一部を写真で見せながら、説明されました。
 その時に参照されていたのは、夏目房之介さんや竹熊健太郎さんたちの共同研究の成果である『マンガの読み方』(宝島社、1995年)の中の、コマの機能についての分析の部分です。石ノ森章太郎の「ボンボン」のコマを、いったん帯状に横一列に並べ直して、「圧縮」と「開放」の効果や、起承転結のリズムの作り方を、分かりやすく示したところですね。要するに今回井上さんがやっているのは、あの、いったん帯状に並べた複数のコマを、単に帯状にではなく、もっと空間性を活かして、並べ直していく作業だったと。
 その作業をともにする中で冨澤さんが気づいた、井上さんのレイアウトの方法論や、おそらく無意識にやっておられる部分の感覚などについてのお話は、なるほどぉぉ、という感じだったのですが、あんまり全部ここで紹介するのもどうかと思いますので、この辺までにしておきます。
 絵のレイアウトの話だけでなく、ほかにも、今回の展示の表現上の特徴、物語構成の分析、そしてまた、展覧会というイベント自体のプレゼンテーションの仕方など、フォローすべき論点をほぼ完全に押さえつつ、どの論点についての分析も、こちらの期待値の上を行くものを提示されていて、これは本当にマンガ論の世界全体で共有すべき成果だなと思いました。
 今回の連続講演会は、きちんと講演録がまとめられるそうなので、みなさんぜひ、そちらをお待ちいただきたいと思います。
 しかし一回目がこのレベルで、しかもこの分かりやすさだと、僕の講演もだいぶしっかり準備しないとにゃー。その意味でも、気合いを入れ直させてくれた講演会でした。冨澤さん、ありがとうございました。