宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

改めて展示の感想を

 といっても、まだネタバレ回避推奨なので、見た人はわかる、な書き方で失礼します。
 今回の大きな変化は、冒頭と末尾です。ここをここまで変えるのか、という驚きがありました。と同時に、その必然性は納得のいくものでもありました。
 毎回、実際の展示空間に入場する手前の、美術館のエントランスホールなどの、入場前に列を作って待つ空間には、すでに山並みなどの景色が直接壁に描かれていて、柱や、もぎりのカウンターの後ろに、展示にして一つの物語になっているこの展覧会の最初のナレーションとして、「その禅寺の奥には 岩山が大きく えぐられたような形の洞がある」という言葉が置かれています。
 今回、この、展示=物語全体のイントロダクションに当たる絵が、今までになく大きく、そして、非常にドラマチックなものになっています。今までは、ここの絵もまたその場で描かれた作品であり、その言葉が単なるキャッチコピーではなく、最初のナレーションであることに気づかないまま入場する観客も少なくなかったと思うのですが、今回はその心配は全くないと思います。
 最初の上野の時には、このナレーションはチケットのもぎりのカウンターのあたりにあって、背景の絵も含めてほんとに控えめなものだったことを思い出しながら、このでかくてドラマチックな絵を見ると、この2年間でこの展覧会=物語はここまで大きく成長したんだな、という感じがしてきて、それだけでもう、感慨ひとしおでした。
 このイントロの絵は、描かれているモチーフにおいても、今までのそれと根本的に違う点があり、そのため、この展示=物語のテーマを凝縮的に表現するものになっているとともに、展覧会末尾のシーンとも呼応するものになっています。井上さん自身の、この展示=物語への理解の深まりが表れている気がします。たどりつくべきところが、2年前より、一層はっきり見えるようになったというか。
 ラストのシーン=空間も、かなり大胆な更新がなされているんですが、僕にとっては、そのシーン=空間に入る手前に置かれる絵の変化の方が、大きな驚きでした。提示されてみると納得ではあるんですが、想定の範囲外だったというか。


 この展覧会は、最初の時点ですでに十分画期的なもので、それについては、結構いろんなところでそれなりにきちんと指摘されているし、芸術選奨文部科学大臣新人賞まで受けたくらいですから評価も十分されていると思うんですが、2年かけて3か所で「重版」を行うなかで、まさに単なる「増刷」ではなく、「重版」として、照明や展示空間構成等の演出のレベルアップにとどまらず、新たなシーンの追加や、重要な部分の絵の更新などを繰り返し、上野は上野、熊本版は熊本版、大阪版は大阪版、仙台版は仙台版と、それぞれ置き換え不可能な独自のバージョンを生み出し続けるという表現の形も、まるで、いったん完成した後もテキストに手を入れ続けた宮沢賢治のそれをほうふつとさせるもので、面白いなあと思います。
 単行本化の際などに、その時点での時代性に合わせて、古びたせりふを直すなど、アップ・トゥ・デイトなものにするための加筆や訂正は、マンガの世界でもよくありますし、最新版が、本人にとっての完全版であるという形でのバージョンアップもありますが、「最後のマンガ展」の場合、それぞれがまさに一回限りの「ラスト」であって、4バーションすべてに、その時の会場空間に合わせた独自性があるところが、雑誌にしても単行本にしても、結局、「本」として基本的に同じフォーマットの中で発表される漫画との、大きな違いではないかと思います。


 まあ、とにかく、まだ1回も見てない人も、どこかでのバージョンを見てる人も、少しでも興味があるなら、ぜひとも見るべき展覧会だと思います。