宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

九州部会終わりましたー

 泉信行さんにおいでいただいての例会、告知が遅かったんでどうかなと心配したんですが、30名のご参加をいただき、内容的にも充実した例会になったと思います。
 前半の僕の話は、いずみのさんの今までの視点論や、夏目房之介さんや大塚英志さんが蓄積してきた、(おもに)少女マンガにおけるコマと言葉の重層化による内面表現をめぐる議論を、ジュネットのナラトロジーのうち「焦点化」についての議論に沿って整理・総合すると、マンガ作品・作家・ジャンルの語り口の特徴を、かなり体系的に分析することができますよね、という話でした。
 事前に送っていただいていた、『Review House 02』に載ったいずみのさんの最新の論考の論点もあわてて取り入れつつ、かなり大きな枠組みを作れたかなと思ってたんですが。
 これって要するに、このマンガの物語は表現としてこう描かれているという、描かれ方の分析が先に来ていて、その上で、だからこう読める、という論理展開になってるわけです。つまり、こう描かれてるから読者はこの作品をこう読んじゃうんですよ、読者にこの作品がこんな感じに見えるのはこう語られているからです、という作り手寄りの話になっちゃってる。
 これに対して、泉さんは今回さらに「その先」へ進むお話をしてくれました。つまり、どう描かれ語られていようが、その描かれ方語られ方に沿う形でだけ「読まされる」のではなく、もっと主体的にみずから物語の世界に「潜って」いく読みのありようを提示しようというわけです。
 作り手寄りの立場から、その物語がどう描かれ語られているのかを論じる僕の議論に、いずみのさんが、読み手寄りの立場から、その物語をいかにより深く読んでいくことができるのかを論じて応じる形になっていて、そんなことを事前に打ち合わせたわけでもないのに、なかなか全体としていい感じの組み立てになっていたのではないかと思います。
 細かい部分でも、僕がいずみのさん言うところの「身体離脱ショット」の「主観コマ」の例として挙げた、「へうげもの」で古田織部が初めて千利休に四畳半の茶室に通された時の1コマについての、これは「主観コマ」じゃないんじゃ?というツッコミなど、じゃあどう読めるのかという議論を聞くと、ああやっぱりいずみのさんの方が読みが深いなあと軽く感動させられたりしたのでした。
 今日のいずみのさんの発表の内容はいずれまた活字にまとめられることになると思いますので詳しく紹介しませんが、キーワードとしては、「通観」、「パノラマ認識」、「マップ認識」、「運命」、「王道」といったところが挙げられるでしょうか。僕などついていくのがやっとのスピードで、どんどん「先」へと進んで行かれますね。そんないずみのさんが、今まさにここで何かを考えている現場に居合わせられる幸福を堪能させてもらった例会でした。
 その後、学科の資料室で開かせてもらった懇親会では、会場設営などの手伝いをしてくれた学生たちにも、気さくにサインに応じてくれたり、スポーツマンガの表現で卒論を書こうとしてる学生のために、即興マンガ夜話をやってくれたり、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
 いずみのさん、風邪をひかれてて体調もよくなかったのに、長丁場お付き合いいただき、ほんとにありがとうございました!
 さーて、明日はマンガ学会の理事会で東京日帰りだー。