宮本大人のミヤモメモ(続)

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9日は連続講演会の第3回

 島田美術館館長・島田真祐氏による「宮本武蔵と熊本」改め「武蔵、どうしてそんなに男前?−肖像画の変遷−」でした。
 いきなり柔らかいタイトルになったのは、「宮本武蔵と熊本」というテーマについては、まさに同題で『井上雄彦ぴあ』に、このムックの中では比較的長文の論考を寄せられていて、これは僕も大変勉強になったのですが、島田氏としては、その内容を改めて繰り返すのも面白くないのでテーマを変えようと考えたから、とのことでした。
 というわけで、講演の内容は、武蔵の肖像画の変遷を最初期のものから「バガボンド」までたどるいうビジュアルなものに。
 武蔵のルックスについて、同時代にそれを写した絵や記述した文書資料はなく、1727年の評伝「武州伝来記」にある背丈、顔つき、装い等についての記述が、最も史実に近いと考えられ、以後の武蔵像の基本ともなったそうです。それによると身の丈六尺(約180センチですね)ほど、一生髪けずらず(くしけずらずの意)、爪とらず、浴せず、といったことが書かれているそうで、ワイルドです。風呂に入らないのは、心の垢をそそぐことに専心しているから体の垢は落とさなくてもいいのだといった理由が述べられているようです。すごいです。「バガボンド」にも体洗ってない系の描写はありますよね。
 二天一流正系の寺尾家に伝えられ、現在は島田美術館蔵の最も有名な武蔵の肖像も、この「武州伝来記」の記述をほぼ踏襲しているそうで、二刀を携えた姿勢も、五輪書の「水の巻」に記された「身のかかり」(闘争時の基本的な構え)によく似ており、これが、史実に近い武蔵像の絵としての原型となり、いくつかのバリエーションを生んでいくことになります。ということで、迫力はあるもののお世辞にも男前とは言えない武蔵の肖像がいくつも紹介されましたが、これらも少しずつ史実に照らすとあり得ない描写が混じっていたり、同時代の歌舞伎などのフィクションの影響も見られるとのことでした。
 一方、そうした歌舞伎などのフィクションの影響下に、すっかり美化され、「史実の尾てい骨」さえ残していない男前の武蔵像も、五雲亭貞秀や歌川國芳の浮世絵などによって広がっていきます。國芳にいたっては、月代を作らず総髪だったという、武蔵の一番大きなルックス上の特徴さえ無視して、月代がある武蔵を描いており、一方、敵である小次郎は、思いきり悪相に描かれています。
 この武蔵=善=美、小次郎=悪=醜という対比が崩れるのが吉川英治の「宮本武蔵」で、それまでの勧善懲悪の枠組みを脱して、小次郎も美形に描いて、どちらが善でどちらが悪、というような単純な対立ではなくなっています。吉川版を原作にしているのですから当たり前ですが、「バガボンド」もまさに、そういう描き方ですよね。
 といった感じで、武蔵イメージの変遷が、手に取るように分かる、面白くてためになる講演でした。島田館長は、「宮本武蔵と熊本」の文体や、それに添えられた写真から想像する通りの、厳格な雰囲気の方でしたが、お話自体は、時折熊本弁や冗談を交えたメリハリのある楽しいもので、そんな柔軟性も兼ね備えている辺りがまたかっこよかったです。
 終了後は、展示を見に来ていた北九大生2名と、毎度おなじみ熊大の跡上史郎さんと、それから熊本近代文学館の鶴本市朗さんとともに、またしてもオレンジへ。どんだけ行っとんねん、という話ですが、展示見に来た北九大生はやっぱ連れて行かんといかんでしょうということで。何回行って何頼んでもおいしいですしね。