宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

赤塚不二夫逝去

 の報に触れました。
 僕は生前の氏にお会いしたことはありません。作品も網羅的に読んでいるわけではありません。ただ、以前にも書いたかもしれませんが、僕が6歳まで住んでいた家の近所の助産院の待合室にあった、曙出版の『おそ松くん全集』の「チビ太に清き一票を!」という副題の第5巻が、なぜかいつの間にか僕の家にあったんですね。
 カバーもなくなっていて、結構ヨレヨレで、背中が割れてきたので自分でテープで補修したりしてたんですが、今思うと、これがいつ自分の家に来たのかよく分からない。
 あとがきに、マンガ制作は作家と編集者の共同作業だという趣旨の文章があって、これをほほうと思いながら読んでいたのが小学校2年生の時なのは間違いないと思うんです。「共同作業」という言葉が自分の中で流行って、教室の掃除の時間に、友達と二人で一緒にほうき持って「共同作業共同作業」って言ってたその教室と友達が2年生の時のだからです。でもその時すでに僕は引っ越していたわけです。
 たしかに引っ越したと言っても元の家から1キロくらいのところだったので、引っ越してしばらくは母がその助産院に時々行っていました。それにくっついて行った時になんとなく、そんなに好きなら持ってってええよ、みたいなことになったのかもしれません。が、よく憶えてない。
 小1の時に講談社全集版の『ジャングル大帝』の1・2巻を買ってもらった話は、やたらいろんなとこでしてるわけですが、この時のことはすごくクリアに憶えているんです。
 それに対して『おそ松くん全集』の方は、なんだか記憶があいまいで、もしかすると『ジャングル大帝』より早くに僕が手に入れたマンガ単行本なのかもしれないのに、よく分からない。でも、自分には、そのなんだかよく分からない、いつの間にか気付くと手元にあって、当然のように大好きで何度も読み返してた感じが、自分の中の赤塚不二夫イメージの根っこだったりするわけです。
 なんかね、カッコいいって感じでした。お彼岸に、スクーターに乗ってすましてお経読んで回って金稼ごうとするチビ太とか、工事現場の砂利山で遊んでる六つ子たちとか、今思うととってもドライな吹っ切れ方をどのキャラクターもしていて、そこがよかった気がします。
 その後、マンガ学会で、長らく赤塚氏のブレーンを務められた長谷邦夫さんとお付き合いさせてもらうようになり、漫画史研究会の後、高田馬場のラーメン屋でこの『おそ松くん全集』のあとがきの話をしたら、「あ、それ俺が書いたわ、たぶん」って言われて、その場にいた一同爆笑になったのも、いい思い出です。
 その長谷さんが、ご自分のブログで、この訃報に、触れておられます。


http://d.hatena.ne.jp/nagatani/20080802


 特にこのコメント欄の、「皆さん、赤塚マンガをまた読んでやって下さい。」という言葉に、心を打たれました。今回、おそらく親しかった方ほど、「笑って送ってやろう」といったことを言われるだろうなというのは予想していました。長谷さんも実際、そうおっしゃっているのですが、それより前に、「皆さん、赤塚マンガをまた読んでやって下さい。」という言葉が出てくるのは、考えてみれば当然なんですが、予想していませんでした。今も書きうつしながら、ちょっとうるっと来てしまいます。だって、これは、長谷さんにしか言えない言葉だと思うんです。
 長谷さんと赤塚氏の、一言では言えない間柄は、長谷さんご自身の小説に詳しいわけで、それを知った上で、この言葉に触れると、ああ、こんな風に長谷さんに言ってもらえる赤塚さんは、なんて幸せだったんだろうと、思うのです。
 心から、ご冥福をお祈りします。読みます。また。