宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

で、本浜発表

 沖縄キリスト教学院大学の本浜秀彦さんの「マンガは、「空間」と「身体」をどう表象できるか―オキナワを描いた作品を手掛かりとして―」の方は、さすがにこなれたものでした。ただ、ほんとは90分必要な内容だったと思います。しゃべり慣れておられるので時間が足りなくなって来たらうまくはしょって話をまとめてしまう技術をお持ちだったので、こちらとしてはもうちょっと最後のところを突っ込んで聞きたい、という感じでした。
 マンガにおいて沖縄がどう描かれてきたか、逆に沖縄においてマンガがどう描かれてきたかを歴史的にたどりながら、福生の米軍基地と沖縄のそれとを、片や国道16号線、片や国道58号線の標識とともに、さらっと並べて描く上條淳士「SEX」の基地描写が、「沖縄」をハナから異質な場所としてではなく、同じ「国道」に面した空間として描いたことの意義を指摘し、沖縄出身の作家であるなかいま強の「わたるがぴゅん!」や新崎智の「島の女」における沖縄的な身体認識を捉えた表現の細部に注目する、といった発表で、面白かったです。
 僕は昨日初めてお目にかかったんですが、発表のタイトルや概要を見て、正直、「もしかして、カルスタか?ポスコロか?」という疑いを持ちつつ(日本でカルスタ・ポスコロやってる人たちには懐疑的なもので)お聞きしていたんですが、もちろんカルスタ・ポスコロ的な観点は踏まえつつも、あまり過剰に研究者のポジショナリティに(本浜さん自身沖縄の出身で今も沖縄でお勤めなわけですが)こだわって見せたり、あまり過剰に本質主義批判にならない中庸さが、僕にはいい感じでした。いい意味で「明るい」っていうか「軽い」っていうか。
 発表の中では「沖縄的身体」というコトバをわりと不用意に使っておられるように見えて、それは結局本質主義なのでは?という気がしたのですが、それはむしろ、胸毛が濃いとか後頭部が出っ張ってる子を「がっぱい」と呼ぶとかある種の顔つきの女性を本土人の女性と判断するとかいった、「沖縄人と本土人との身体的な差異への沖縄的なこだわり方」の話であり、それも少しずつ変わり続けるものでしょうということが、飲み会の時に確認できたのでした。

 というわけで発表はいずれも充実していて、ほんとによかったです。

【6月26日、午後14時20分付記】
 当初、当日の会運営に関して批判的なことを書いていましたが、事実誤認があるとの指摘を受けて、26日の午前0時台に書き直しました。その書き直しの中でも、その指摘についての疑問などを書いていたのですが、校務多忙のため、この議論を、公開の場で、求められる速度で意を尽くして続ける自信がなくなりました。関係者のみなさんには、中途半端な形で問題提起をしてしまいましたことをお詫びいたします。