宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

日本マンガ学会第11回大会

 高知での開催でした。


http://www.jsscc.net/katudou/taikai/2011taikai/program.html


 地方開催の大会は3回目でしたが、高知県のまんが・コンテンツ課、そして横山隆一記念まんが館のみなさんなどに、地元での受け入れ・広報体制を万全にしていただいたおかげで、非常に良い大会になったと思います。
 初日の個人研究発表も、僕が聞けたものはいずれも充実した内容だったと思いますし、表現規制をめぐる研究フォーラム、夜の懇親会&合宿座談会も楽しかったです。
 二日目の今日は、「マンガと地域性(ローカリティ)」をテーマにしたシンポジウムで、第1部は長谷川法世さん、第2部はこうの史代さんをお招きして、いずれも充実した内容だったと思います。


 第1部は私が司会進行&イントロダクション的なお話をさせてもらったのですが、60年代末から70年代にかけて、マンガの中で〈地方〉、そしてその固有の地域性が見出されてくる過程、そしてその描かれ方の変遷を、長谷川法世さんには当事者として、村上知彦さんには同時代の読者として、お話していただくことができ、私自身、非常に興味深く聞かせていただきました。
 私の関心は、60年代末から70年代前半には、都市で挫折を経験した青年が、しかしそこから帰ろうにも地方は地方で都市の発展の犠牲になって過疎化したりしている、というふうに、都市と地方をともに暗く描くという形が多かったのに対して、70年代後半になって、青柳裕介さんの「土佐の一本釣り」と長谷川さんの「博多っ子純情」という、帰るべき場所としての地方の地域性を、肯定的に描いて、大ヒットするという転換が起こるにいたった文脈というか、背景は、どういうものだったんだろう、ということでした。


 『COM』や『ガロ』周辺の作家たちが、〈地方〉や、東京の特定の場所の地域性を描いた作品は、優れたものであっても幅広く受け入れられるには至らなかった。しかし、当時の宮谷一彦にしても、青柳さん自身にしても、安部慎一にしても、自身が〈地方〉を描くときにはそう描くのが必然だった中で、まさにそうした自己表現としての青年劇画という流れのただなかにいた青柳さんや長谷川さんが、それまでの〈地方〉の描かれ方を思い切り反転させて、特定の地方の地域性を、幅広く受け入れられる形で、肯定的に、魅力的なものとして描く、というのは、すごく強い思いと才能がなければできないことだったのではないかと、私には思われたので、長谷川さん自身が、あるいは長谷川さんから見た青柳さんが、当時どのような思いで、博多や土佐を、描かれていたのか、をお聞きしたかったわけです。


 その議論の過程で、私が「エンタテインメント」という言葉を、上で述べたような、それまで否定的に暗く描かれがちだったものを、あえて明るく「肯定的」に描き、幅広い読者を獲得しうる開かれたものにして行ったことを指して言うつもりで、「エンタテインメントとしても成立する形で描くようになったのは…」といった感じで使っていたところ、長谷川さんからそれは違うと指摘をいただくことになりました。


 自分自身はともかく、青柳さんは違う、もっと強いふるさとに対する思い、メッセージ性が込められていたのであって、地元を描いてエンタテインメントにする、というようなものじゃない、と。


 私自身は、エンタテインメントと言う言葉を上のような意味でポジティブに使っていたので、一瞬、長谷川さんのおっしゃる意図が見えなかったのですが、長谷川さんにとって、エンタテインメント(化する)という言い方は、ただただ娯楽のネタとして売り物にする、とか、いわゆる「魂を売る」といった、ネガティブな意味に受け止められているようだとわかったので、すぐに、こちらの本意はそうではなく、まさに長谷川さんのおっしゃるような重みのこもった表現として、「土佐の一本釣り」(とそしてもちろんほんとは「博多っ子純情」も)を捉えたいのだという旨、ご説明させてもらい、ご理解をいただけました。


 シンポ後の楽屋での、他の理事も交えた会話の中で、なるほどと腑に落ちたんですが、長谷川さんは、私の言うような、肯定的な意味での開かれた娯楽性を備えたものとして「芸能」という言葉を、小沢昭一が言うような意味で、庶民・民衆から湧き上がってくる自生的な力を帯びた楽しみの表現を担うものというニュアンスを込めて使われていて、マンガというのはそういう意味での「芸能」なのだとおっしゃられていました。それに対して、エンタテインメントという言葉は、まさにそのような「芸能」と対照をなすような、大量生産大量消費の商品としての、いわば大衆に「与えられる」娯楽を指すものとして受け止めておられるようでした。


 娯楽を、そのように、分けて考える考え方自体は、よく理解できるもので、確かにそのような意味での「エンタテインメント」として、「土佐の一本釣り」や「博多っ子純情」があったという風に受け止められるとしたら、全く私の本意ではありませんし、長谷川さんがそのように受け止められたということは、フロアの聞き手の皆さんにも、やはりこの横文字言葉を、軽薄な、「与えられる」ばかりの娯楽のニュアンスで受け止める方もおられたかもしれませんので、長谷川さんに指摘をいただけたのは、私の本意はそうではないということをはっきりさせる上でも、大変ありがたかったです。


 そして、本来なら今日のこのシンポジウムに出ていただくべきだった青柳さんの、込めていたはずの思いについて、誰よりもそれを語るにふさわしい人である長谷川さんに、高知という場所で、強調していただけたのは、本当によかったと思います。
 このやり取りはシンポジウム全体からするとごく一部分であって、全体的には、長谷川さんの、まさに「芸能」的な魅力を持った語り口での貴重な証言のおかげで、何度も大きな笑いの起こった、盛り上がったシンポジウムだったと思います。私の不注意で一瞬、その流れが滞ってしまったことをお詫びするとともに、すぐに切り替えてまた明るく充実した語りの場の空気を作って下さった長谷川先生にお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。


 第2部の、現在の〈地方マンガ〉を概観した上で、こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』、『この世界の片隅に』に、その〈戦争マンガ〉〈原爆マンガ〉としての側面からではなく、〈地方マンガ〉としての側面から、アプローチするという試みも、もう一人のゲストとしておいでいただいた金水敏さんの「役割語」という観点から地方マンガを見る議論、ヤマダトモコさんの少女マンガにおける地方の描き方の歴史的展開の概観が、いずれもよい補助線になって、充実した内容になっていたと思います。
 司会の吉村和真さんのこうの作品へのこだわりもあいまって、作家・作品の本質に迫る問いと、それに対して期待を上回る回答で応じるこうのさんのやりとりが、よいコラボレーションになっていたと思います。


 シンポジウムの内容は、出るのは来年の春になってしまいますが、学会誌『マンガ研究』の次号に掲載されますので、参加できなかった方は楽しみにお待ちいただければと思います。
 シンポの後には、さらに「高知のマンガ、マンガの高知」と題して、横山隆一記念まんが館の学芸員の奥田奈々美さんと、長年まんが甲子園を支えてこられた祖父江建樹さんに、高知がいかにマンガの「生きている」場であるかを紹介していただけたのもよかったです。


 というわけで、ほんとに充実した大会になったんじゃないかなと思います。今回の大会を様々な形で支えて下さったみなさん、本当にありがとうございました。