宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

まず河浜発表

 九大の院生、河浜秀明さんの「エッセイマンガの成立過程」は先週の京都での大会の発表では触れられなかった「りぼん」や、少年誌の目次ページの作家近況欄などにも触れて、さらに充実した内容でした。が、あえてキツいことを言えば、なまじ新しい素材を入れたためか、考えながらしゃべり、しゃべりながら考え直し始めてしまってるのが聞いてて分かる、という彼の悪い癖が若干出てしまっていて、もともと言うつもりなかったんじゃないかって感じの不用意な一言を挟んだり、そこはちゃんと説明しろよってとこでモゴモゴしたりしてたので、キーワードの概念規定のあやふやさを跡上史郎さんにびしっと指摘されたりしてしまったのでした。
 河浜君は今回の発表で「エッセイマンガ」を「作者が自分自身を作品中に登場させ」、かつ「作者が自分自身の「体験」を語る」マンガと定義しているのですが、「エッセイ」を辞書で引くと「形式にとらわれず、個人的観点から物事を論じた散文」といった定義になっていて(『大辞林』)、「形式にとらわれず」というのもまたエッセイの形式上の特徴ですから、そのことをスルーして、形式的な特徴には一切触れず、かつまたもともとの「エッセイ」の定義には含まれない、「作者が自分自身を作品中に登場させ」、かつ「作者が自分自身の「体験」を語る」という内容上の定義を新たに入れ込むのは混乱を招くではないか、それでは結局、自伝マンガとエッセイマンガを区別できないではないか、自伝マンガは明らかに「物語」マンガだが、「エッセイマンガ」はプロットの進行を色んな形で阻害したり逸脱したりしていくものではないか、という、跡上さんの一連の指摘は正論ですよね。
 「エッセイマンガ」というコトバの用法の歴史を追いかけるのではなく、現在の「エッセイマンガ」からその特質を抽出して概念化し、「エッセイマンガ」というコトバがまだなかった時代にも、今日の意味での「エッセイマンガ」はあった、として遡って論じていく場合には、内容だけでなく形式についての定義もきちんと行なうべきでしょう。
 ただその一方で、跡上さんの指摘に応えて河浜君がモゴモゴ言ってたように、例えば大島弓子の「グーグーだってネコである」の場合、多くの人が「エッセイマンガ」と受け止めるものであると同時に、そこに大島弓子の「物語」作品との間に決定的な形式的差異を見出すことはできないのではないか、というのは、これもまた重要な論点だと思います。
 んで、多分、そこで重要になってくるのが、「詩情」なんだろうと思います。少女マンガにおけるエッセイマンガのルーツをたどると70年代の『別冊少女コミック』の「1ページ劇場」と、同誌増刊だった『ちゃお』の「ラブポエム」が見出されるというのが河浜君の今回の発表のポイントだったわけですが、「1ページ劇場」第一回のハシラに「詩情あふれる」という言い回しがあり、後者はそのものずばり「ポエム」なわけで、もしかすると「エッセイマンガ」は文学の一ジャンルとしての「エッセイ」以上に、「詩情」と不可分の関係を持っているのかもしれない。そうすると、エッセイマンガと(少年マンガ的な)「ストーリーマンガ」は排他的に対比できても、(少女マンガ的な)「ストーリーマンガ」とは厳密には区別できないのかもしれない、そういう形式的特徴を持っているのかもしれない、と思うわけです。
 実際、「無頼の抒情派」西原理恵子にいたるまで「エッセイマンガ」の名手と「詩情」は切っても切り離せないものとあるように見えますし、単に「何か」を「個人的観点から」語るだけでなく「自分自身の体験を」語るものを特にエッセイマンガと呼ぶような「エッセイ」概念の誤用的拡張(というよりむしろ限定か)が、「エッセイマンガ」を考えるときのポイントになるのかも、と思います。
 いずれにしても、修士一年生の発表としては十分な水準だったと思いますし、とにかく見ると決めた資料に片っ端から当たる態度は意外とマンガ研究の院生さんたちに見られないものなので、大いに期待したいと思っています。


*【6月26日付記】
 最初のバージョンでは、「1ページ劇場」第一回のハシラの「詩情」に「ポエジー」というルビが振ってあったとしていたのですが、これは僕の勘違いで、単に「詩情」というルビである旨河浜君から連絡を受けました。論旨に問題はないので、「ポエジー」としてあった部分を「詩情」と訂正しました。