宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

そんなわけで、マンガバトン、行きます。

本棚に入っている漫画の数

15年前くらいに数えたことがあって、その時は約3000冊だったんで、多分4000から5000の間ではないかと。こないだの朝日新聞の取材の時にも同じことを聞かれて、5000てことにしといたので、そういうことで。
マンガの評論家とか研究者としては、少ない方だと思います。マンガって、文学書や美術書に比べればはるかに単価が安くて、とにかくかさばるので、油断していると、ものすごい勢いで増殖していきます。ウサギ小屋inジャパンの住人としては、新刊レビューで取り上げたもの以外の新刊は、原則買わないことにしてるのです。

今おもしろい漫画

うーん、いっぱいありますよ。ありすぎて、かえって難しいな。
夏休みになったら、共同通信でやってる新刊3点紹介コラムを、去年の分から随時ここに載せていこうと思ってますので、それを見ていただければ。
去年は小田扉ジョージ朝倉の年だったなと思ってるんですが、今年はどうなんでしょうか。
ま、でもここは僕の批評家としての義務だろうってことで、やはりこれを挙げておきましょう。

元祖!浦安鉄筋家族 (10) 少年チャンピオン・コミックス

元祖!浦安鉄筋家族 (10) 少年チャンピオン・コミックス

ほんとにそのうちちゃんと論じますんで。

最後に買った漫画

これデス。

DEATH NOTE (7) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (7) (ジャンプ・コミックス)

よく読む、または特別な思い入れのある5つの漫画

思い入れの方でいきます。まずはこれから。

ジャングル大帝(1) (手塚治虫漫画全集)

ジャングル大帝(1) (手塚治虫漫画全集)

ジャングル大帝(2) (手塚治虫漫画全集)

ジャングル大帝(2) (手塚治虫漫画全集)

小学校1年生の時、なぜかこれが読みたくなって、生まれて初めて親におねだりということをしました。どうしてこの作品のことを知ったのか、なぜ読みたいと思ったのかは、不思議と全く憶えていません。
でも、いつもウチに、親父の取ってた「週刊ポスト」と「週刊現代」と「アサヒ芸能」を配達してくれていた町の本屋さんが、この本を届けてくれた時のことはものすごくクリアに憶えています。
「あおい(書店)でーす」というおじさんの声が聞こえて、2階にあった僕の部屋から階段を駆け下りると、玄関にこれの1巻と2巻が置いてある。そこまでの映像がはっきりあるんですね。
僕が小1だった1977年というのは、ちょうど手塚治虫漫画全集が刊行され始めた年で、その第1回配本がこの「ジャングル大帝」の1巻と2巻、それにあとなんだっけ、別のタイトル2点だったのでした。今自宅で書いているので、手元に本がないんですが、アマゾンで調べると1、2巻は6月刊行、3巻は8月刊行です。でも実際の発売日は多分もっと早いから、僕んちに来たのは5月か6月なんでしょうね。こんなの当時の「少年マガジン」の広告を見ればすぐ調べられるんですが、なんとなく確認しないままにしておいてあるという。おセンチですね。3巻を買ってもらったのは、ずーっと後で、カゼで寝込んだ時だったので、それまでこの2冊を何十回も読んでます。ジャケットがボロボロになってしまって新しく同じものを買いなおすことになったマンガは、実は僕の生涯でこの2冊だけです。かなり決定的だったと思います。

次はこれ。

おそ松くん (4) (竹書房文庫)

おそ松くん (4) (竹書房文庫)

これ、アマゾンにモノがないんでしょうがなくこの書誌を貼ってますが、正確には曙出版版の「おそ松くん全集」の第5巻です。
ウチは僕が6歳の時に引っ越しをしたんですが、これはその引っ越す前の家の近所にあった助産院の待合室にあったのが、なぜかいつの間にかウチにあったんですね。引っ越すからっていうんでもらったのかなあ。全く憶えてません。引っ越しと言っても校区は変わらない程度のものでしたから、引っ越し後も、母はここの助産院に時々行ってた気がしますので、ますますいつもらってきたのか、いつ最初に読んだのか、わからない。
ただ、熱心に読んだのは小2くらいのときですね。この本にはあとがきがあって、そこで赤塚不二夫は、漫画というのは編集者との共同作業の産物なのだということを書いています。僕はそれで「共同作業」という言葉を覚え、学校の掃除の時間に一本のほうきを二人三人で持って「共同作業共同作業」と言って遊んでいたのでした。その教室がまぎれもなく小2のときのなのですね。
「チビ太に清き一票を!」という副題が付いてたくらいで、チビ太大活躍の巻なんですが、子供心にチビ太のサバイバーっぷりがクールでドライでかっこいいと感じていました。
ちなみに、この、編集者との共同作業について書いたあとがきが印象的だったことを、後年漫画史研究会の後の飲み会の後、みんなで行った高田馬場のラーメン屋で、長谷邦夫さんに話したところ、「あ、それ書いたの俺だな」と言われ、一同爆笑、ということがありました。小2のときはそんな日がやってくるなんてこれっぽっちも思ってませんでした。当たり前ですが。

お次はこちら。

同じ頃、春休みとか夏休みの午前中に、東映動画系の漫画映画の再放送をよくやっていて、何度も見ていて好きだったのがこの「サイボーグ009」の劇場版(劇場公開は1966年)でした。多分それでだと思うのですが、秋田書店のサンデーコミックス版の単行本を買って読んでました。やっぱり初期の目玉がでかい頃のがかっこいいですね。
その後、「超銀河伝説」(1980年)公開時に出たムックに、各エピソードの初出が載っていたので、そんな情報の全く載ってないサンデーコミックス版に、それを鉛筆で書き込んだりしてました。今思えば着々と道を踏み外しつつあったわけです。

そしてこれ。

忍者武芸帳影丸伝 (1) (小学館文庫)

忍者武芸帳影丸伝 (1) (小学館文庫)

これもいまいち記憶が定かではないのですが、小3か小4の頃、父が「おい、これおもろいぞ、読んでみい」と買ってきたのが、小学館文庫版(上のとは違う、日暮修一が表紙描いてるやつです)の「忍者武芸帳」でした。これはもうやばいくらい熱中しました。熱中度で言えば、「ジャングル大帝」の次ぐらい。明美より蛍火の方が好きでした。ってそこかいポイントは。いや、それ以外にも、ほんとにどこ読んでも面白いです。最後の最後の方でいきなり絵がガラッと変わるのでびっくりしたりもしました。これも当時は赤目プロの思想とか仕組とか知らなかったので、単なるアシスタントとしてではないレベルで絵を担当する人が複数いるなんて全く知りませんでした。
ちなみに父は基本的に右寄りな人で、ちょうど60年安保の頃に拓殖大学の空手部にいたような人生ですから、この作品を階級闘争史観の表現として読んだりってことは、全くなかったんじゃないかと思います。単に時代物としておもろかったんでしょう。

最後はこちら。

童夢 (アクションコミックス)

童夢 (アクションコミックス)

これも買った時の映像がクリアに残ってる一冊。そういうのって「ジャングル大帝」とこの「童夢」だけですね。こちらは、夏祭りの帰りに寄った本屋さんでたまたま目に止まり、お祭り用にもらってたお小遣いで買ったのでした。外の蒸し暑さと冷房の効いた本屋の中の落差とか、帰った後、扇風機に当たりながら夢中で読んだ光景とか、憶えてます。
中1の夏で、まさに本が出たばかりのタイミングでした。この頃は、もう本屋で立ち読みという悪行を覚えていたので、なんとなく、カンが働いたのでしょう。これが初めての大友体験でした。チョウさんが壁にめり込む有名なシーンを、人に見せられる前に自分で単行本の流れの中で見られたのは幸福だったなと思います。

我ながら、よくもまあ、こんなにきれいに、小1から中1までの間の心柔らかき日々に、戦後マンガ史追体験みたいなことができたな、と思います。マンガの神様がついてたというか。今、こんな仕事をすることになるのも仕方ないですね。
とは言え、なんでそんなことが可能だったのかと考えると、たとえば手塚全集の刊行だったり、小学館文庫の成功だったりといった具合に、この時期、そうした歴史追体験が可能なインフラが、マンガの世界にできてきていたという背景が見えてきます。その意味では、僕の体験は、決して奇跡のような偶然の産物ではなく、ある程度歴史的な必然によるものだと言うことができるでしょう。
いずれにしても、僕にとってマンガを語ることがそのまま「私」を語ることに重ねられてしまう幸福な時代は、多分この辺で終わります。中2くらいからは次第にロックというか、「ロッキング・オン」周辺の文化に傾倒していきますので、マンガ一辺倒じゃなくなってしまうんですね。考えてみればこれも、僕らというのは中学に入ったらとりあえず洋楽を聴いてみたりする最後の世代なので、やっぱりある意味ではありふれた道を歩んでいるんですが。

私からつなぐ5人の方

今回もバトンは回しません。大事にしまっておきます。それから、もう他のバトンは受け取りませんので、あしからずご了承ください。

しかし、なんだかんだで楽しいもんですね。こういう話は。読む人にとってはどうかわかりませんが、わりと満足なエントリでした。