宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

『愉快な鉄工所』を読んで下さい。

そんなわけで早速告知です。
大城のぼるの『愉快な鐵工所』(中村書店、昭和16=1941年)の復刻版が、小学館クリエイティブから出ています。

愉快な鉄工所

愉快な鉄工所

「装丁や本文用紙など発売当時のまま復刻」という凝った作りに加え、竹内オサム小野耕世日高敏、そして私ミヤモトの解説が掲載された「『愉快な鐵工所』読本」が付いて、たったの3780円。これは、買いですよ。
今、おそらく二度目の大城のぼる再評価の波が来ているのだと思います。一度目は1980年前後で、小松左京手塚治虫小野耕世松本零士といった、主にリアルタイムで大城を読んでいた人々の声で、『火星探險』やこの『愉快な鐵工所』の最初の復刻版が出たのでした。
二度目が、ここ数年の流れです。2002年春のBSマンガ夜話での手塚治虫特集(「メトロポリス」の回)で、夏目房之介さんが『火星探險』を紹介し、翌年早々に透土社から一色刷で『火星探險』の復刻版が出て、さらにその春に出た大塚英志さんの『アトムの命題』(2003年、徳間書店)でも、大城についてかなりの紙幅が割かれていたのが、僕にとっては一連の流れに見えました。「おっ、来るかな、大城再評価」と思った記憶があります。そして今年、小学館クリエイティブから『火星探險』、『汽車旅行』が、原本に忠実な形で復刻が出て、マンガ読みのみなさんの間ではわりと話題になっていると思います。たとえば以下を参照。
http://book.asahi.com/comic/TKY200505040140.html
http://d.hatena.ne.jp/laco/20050303
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20050321
今回の再評価の特徴は、大城を後から知った世代、それも、今20代から30代にかけての、かなり若い層の間で、単にマンガとして優れているという評価がなされているように見える、ということではないでしょうか。「手塚以前」とか、「あの時代」とかにこんな作品があったのか、といった類の、歴史的文脈を踏まえた評価ではなく、今のマンガ読みの、相当に高い要求水準を満たす新たな作家の登場として、大城が受け入れられているように見える、というと、ひいき目が過ぎるでしょうか。
でも実際、僕の感覚では、『火星探險』には色々と歴史的な事情についての解説が必要なものの、『汽車旅行』と『愉快な鉄工所』に関しては、ひとまずそういうものなしでも、そのすばらしさが、少なからぬ数の読者に伝わってしまうように思います。これは、やはり大城という作家のすごさの証明でもあると同時に、現在のマンガ読者の成熟の証明でもあると思います。要するに、ようやく大城のぼるがまともに読まれる時代がやってきたのではないかと。
『愉快な鐵工所』の最大の特徴は、夢・虚構と現実とが何層にも入れ子状になった多層的な物語世界だと思います。『火星探險』が、全体を「現実→夢→現実」と、極めて明解に三分割しているのに対して、この作品は、今物語が展開されているのが「どの程度深い」夢の位相なのかが、おそらく意図的に分かりにくくされています。その分かりにくさは、多くの読者に対して、この物語の多層性を意識せざるを得なくする仕掛けとして機能するでしょう。非常にメタフィクション的な性格を持った作品なわけです。
「読本」所収の解説は、いずれも、そのような作品がこの時代に出たことの意味を色々な角度から検討していますが、僕としては、そのような解説がない状態で、この作品が今の若い読者にどう読まれうるものか、非常に興味があります。読者のみなさんには、できれば解説より先に、まず作品そのものをお読みいただければと思う次第であります。
いやーほんと、マジやばいっすから、『愉快な鐵工所』。アタマぐるぐるしますよ。「愉快な」なんて言葉から連想する牧歌的な世界とは、およそ対極の世界が、ここにはあります。