宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

今日は

昼から福岡市総合図書館の「シネラ」へ映画を2本見に行きますんで、ちょっと早めに寝ます。
“戦後初の劇場用長編”アニメーション映画「バクダット姫」と、「ハナログ」および「夏目房之介の「で?」(2005年8月16日のエントリ)」で話題騒然となった「海魔陸を行く」という、奇跡の2本立てであります。
ほんとはそんなヒマねえだろうという気もしますが、これは見に行かないわけには参りますまい。

そんなわけで「バクダット姫」

見てきましたよ。
いやあ、予想以上に面白かったです。なにせ昭和23=1948年公開の作品ですから、正直言って、当時の事情を知っておくための「資料」を見に行くのに近い感じで行ったんですが、普通に楽しめました。ま、「普通に」っつっても、一昨年のフィルムセンターでの特集「日本アニメーション映画史」で、それなりにたくさん戦前・戦中の作品に触れた目で見てるわけではあるんですが。

お話は、

いたってシンプルです。バクダットの王様が娘(バクダット姫)に婿選びをさせようと、武力に秀でたモンゴーロ王子と、財力に秀でたペルチャ王子を紹介するのですが、姫にはすでにアーメット王子という意中の人がおり、困った王様は予言者に相談します。予言者は、難関を越えて象牙の小箱を手に入れて、持ち帰ったものを婿に、と言います。かくして三人の王子は炎を操る悪魔や恐竜の待ち受ける地へ…といった具合です。
基本的にはいわゆる「串ダンゴ形式」のシンプルなストーリーラインで、アーメット王子が困難に出会う→乗り越える→別の困難に遭遇する→乗り越える…の繰り返しですが、途中でモンゴーロ王子が小箱をあきらめて、姫を強奪しようとバクダットへ引き返してしまうため、アーメットの戦いの場面と、モンゴーロ王子の軍隊に襲われるバクダット城の場面が交互に示されるようになったり、アーメット王子の戦いが、最初のそれから最後のそれに向って次第に大掛かりなものになっていくなど、一応「長篇」作品としての構成が工夫されていると言えるでしょう。

専門家ではないので

恐る恐る書きますが、アニメートの技術的な側面についても、特に革新的なものはなかったと思います。芦田巖の戦前・戦中の作品の水準で作られているといってよく、従って、昭和18=1943年の「くもとちゅうりっぷ」(政岡憲三)や昭和20=1945年の「桃太郎・海の神兵」(瀬尾光世)が示した到達点より一段階前のレベルの作品だということになります。物語構成においても、上に述べたような工夫はあるものの、「桃太郎・海の神兵」に比べれば、ほぼ独立したエピソードをたくさんつないだだけ、といった言い方もできなくはない単純さだと言えるでしょう。
うかつにもメモを用意せずに見始めてしまったために、冒頭にかなり詳細なスタッフロールがあったのに、記録しそびれてしまったのですが、館で配布されていたリーフレットには「作画:福田里三郎」とのクレジットが見えます。上のフィルムセンターのページを見ると、この人は少なくとも昭和13=1938年には、芦田の下で仕事をしていた人のようですが、もちろん、この人一人がすべての作画をまかなっていたはずはなく、実際、シーンごとにかなり作画のレベルのばらつきがあります。必ずしも優秀なアニメーターに恵まれた中での製作ではなかったことがうかがわれました。バクダット姫の目は横長なんですが、一場面だけ縦長になってたり、姫以外のキャラクターはみんな4本指なのに、ペルチャ王子だけ5本指になってたり。

とはいえ、

それでもなお、この作品、50分間飽きずに見ることができました。むしろ上に述べてきたような単純明解さが、いいんですね。とにかく一つ一つの場面ごとに、キャラクターのアクションで楽しませようというエンタテインメント性は、たっぷりあるわけです。芦田に限らず、1930年代までのアニメーションの動きって、例えばキャラクターが飛び跳ねる時に、体が地面から浮き上がる時のスピードと落下する時のスピードがほぼ同じだったりするんですね。無重力状態っぽいんですよ。基本的にフルアニメなんで、滑らかには動くんですが、動きの緩急のメリハリが乏しいことが多くて、今から見るとすごく不思議な感じなんです。で、それって、僕は結構好きなんですよ。何か変な夢を見てるみたいで。
この作品にも、そういう、浮上する時も落下する時も同じ速度、みたいな動きが結構残ってる一方、意外とちゃんと気持ちのよい緩急が付けられてる動きのショットもあって、これは単に各シーンのアニメーターの能力の違いの問題かもしれないんですが、とにかく見ていて楽しい動きを、あれこれ取り揃えて手を変え品を変え見せてくれてる、という感じでした。凝ったアングルのショット(アーメット王子を乗せて空を翔る天馬と、その影が下の方の雲に映ってる様子を捉えた俯瞰ショットとか)や、アクションのアイデアが楽しいシーン(悪魔の城みたいなところで、生き物めいた炎にアーメット王子が翻弄されるシーンなど)もありましたし、戦前・戦中のアニメーション作品に多い、「画面の中をたくさんのキャラクターがわらわらわらわら動く」面白さをねらったショットも多くて、愉快でした。こういうショットって基本的には同じ動きの繰り返しなんですけど、動いてるものの数が多いのって、えもいわれぬ気持ち良さ(=気持ち悪さ)があって、いいわけです。

そんなわけで、

「戦後初の」とは言っても、「戦後」だからこそ実現できた、日本のアニメーション史上「初の」何かがあるのかと言えば、多分ないと言わざるを得ない作品ではあると思います。日本のアニメーションは昭和14=1939年の映画法施行後、戦時文化統制の下で、場合によっては海軍などの資金的な援助も受けながら(昭和18年の「桃太郎の海鷲」(瀬尾光世)や20年の「海の神兵」など)、大きな変容(かぎカッコつきの「発展」)を経験するわけですが、その変容以前のありように、回帰しているのがこの作品だとひとまずは言ってよいと思います。この作品にとっての「戦後」とは、戦時下における「発展」をもたらしたある種の窮屈さからの「解放」を意味するもので、戦時下の経験を刻み込みつつ、なお新たな一歩を踏み出した、と高らかに評価できるようなものではないように思います。
とはいえ、ではこの作品にはこの作品が「戦後」のそれであることの刻印が全くないのかと言えば、そうとも言い切れないかなとも思います。僕が「おっ」と思ったのは、物語全体のクライマックスにあたる、バクダット城で、モンゴーロ王子の軍勢とアーメット王子が戦う場面のある「趣向」です。
天馬に乗ってモンゴーロ王子の軍勢に蹂躙される城に駆けつけたアーメット王子は、手に入れた象牙の小箱(それは何でも望みのものが出せる魔法の小箱のようです)から次々に豆粒のようなものを取り出し、上空からばら撒きます。すると、その豆粒の一つ一つが、みな同じ顔をした兵士へと「変身」するのです。続々と空から舞い降りる兵士を地上から見上げるショットが何度か挿入されます。騎馬隊であるモンゴーロの軍勢は、この「空襲」する兵士たちに次々倒されていきます。
ここで、物語の中で三人の王子の「力」がそれぞれどう形容されていたかが思い起こされます。モンゴーロ王子は「武力」、ペルチャ王子は「財力」、そしてアーメット王子は姫を思う「愛の力」という言葉が使われているのです。物語の初めの方で三人の王子の人となりが紹介される場面で、モンゴーロとペルチャはそれぞれ自分の「力」を誇示しているのに対して、アーメット王子は、一見ぐうたらで、冗談を好むおどけた、姫の言葉をかりれば「面白いお方」として描かれており、その「力」を誇示することはありません。
実はアーメット王子は、モンゴーロも逃げ出した火の悪魔を倒してはいません。悪魔の手下たちを得意の笛で躍らせ、その間に逃げ出し、炎の城からもひたすら逃げて逃げおおせたのです。次の難関たる恐竜からも、また得意の笛の音でいい気持ちにさせることで、戦わずして逃れています。要するにアーメット王子は「愛」と「平和」の人なのです。
悪魔に勝てなかったからといって、城を攻め立て姫を強奪しようとするモンゴーロ王子だけが、アーメット王子の「戦う」相手です。基本的には争いを好まない「愛」と「平和」とユーモアの人が、どうしても倫理的に許せない悪い軍隊のみを、圧倒的な力で「空襲」して倒す、という構図になっているわけで、だとすればアーメット王子に「アメリカ」のイメージを重ね合わせる解釈もまた可能でしょう。僕は占領期の映画検閲については詳しくないので、いい加減なことは言えませんが、1948年と言えば、まだGHQ・SCAPによる検閲が、すべての映画の台本に対して行なわれていたはずで、これだけ派手な戦闘場面がたっぷり盛り込まれた子供向けの映画がこの時期に製作できたことには、それなりの意味が読み込めるかもしれないと思います。
一見、単なる娯楽一辺倒の時代への「回帰」に見えるこの作品にも、ある程度それが1948年に作られたと言うことの刻印を見出すことができる、という仮設なわけですが、この仮説を支えている「空襲」場面は、しかし、同時に別のアニメーション史的な記憶も喚起します。「桃太郎・海の神兵」の、やはりクライマックスにおいて、落下傘部隊が敵地に降下する場面です。先ほど「空襲」という言葉を使いましたが、実際の米軍による「空襲」は、ひたすら爆弾を降らせるものであったのに対し、アーメット王子の「空襲」は、無数の「兵士」を空から舞い降りさせるものであって、イメージとしてはむしろ「海の神兵」の落下傘部隊に近いわけです。物語の「意味」を解釈する文脈では米軍の「空襲」を賞賛するように見えるこの作品のクライマックスは、しかし同時に、敗戦間近の焼け野原の映画館で手塚治虫が見た、戦時下にしか生まれ得なかったであろう「傑作」のクライマックスにも通じている、というわけです。

さて、

このいささか強引に面白さを優先したような議論は、もちろん、「監督・芦田巖」の「意図」を推定するようなものではありません。作品は、作り手の手を離れてある歴史的文脈の中に置かれたとき、「作者の意図」を超えたり逸脱したりするような意味を、帯びてしまうことがあり、同じ文脈の中にある他の作品との間で、ある種の共鳴を起こすことがあるわけです。その共鳴の面白さへの感覚を開かないのであれば、ある作品を論じるのにその作品の製作年など気にする必要はないと言ってもいいでしょう。
わずか50分の「バクダット姫」という作品は、しかしそのわずか50分の間に繰り広げられる視聴覚的な快楽を越えて、その作品について、他のアニメーション作品や当時の歴史的状況と照らし合わせながら、あらためてそれについて考えるという楽しみをも与えてくれました。そのことをここに、書きとめておきたかったのです。

以下は

蛇足的補足です。
リーフレットによれば、今回復元されたこの「バクダット姫」は、全8巻だったとされる公開当時のヴァージョンとは違い、全6巻にまとめられた再編集版のようです。たしかに、途中から説明もなく急にペルチャ王子がいなくなったり、アーメット王子が象牙の小箱を手に入れるために乗り越える難関が、本当はもう少しありそうに見える演出になっていることなど、完全版には、まだ「何か」あるかもと思わせます。これからアニメーション氏に興味を持つ多くの方に見られていくべき重要な作品が、今回こうして再現された意義は非常に大きいと言うべきでしょう。福岡市総合図書館、えらいッ!
今回、作品の上映に先立って、この「バクダット姫」を含む、約800巻という膨大なフィルムが、寄贈されてから上映可能なまでに復元されていく過程を収めたビデオが、館の担当者の方の解説とともに15分ほど上映されました。これも、アーキヴィストの仕事に興味のある僕にとっては、大変面白く、ああなんて立派な人たちなんだ、という尊敬の念を抱いた次第です。
鷲谷花さんによる愉快な紹介があるので、あらためて書きませんが、「海魔陸を行く」の方も期待にたがわぬ珍品で楽しかったです。しかも、今回上映されたものは、鷲谷さんがご覧になったフィルムセンターのヴァージョン(大阪のプラネット映画資料館所蔵のフィルムを元にしたもの)とは微妙に違うものらしく、いいもん見たな、と思います。こっちのは、なぜかタイトルやスタッフロールがみんな英語なんですね。しかもナレーターも、実際は徳川無声なんですけど、KEITHなんとかっていう向こうの人の名前になってるし、監督の名前もほんとは伊賀山正徳なんですけど、こっちのクレジットでは「SHUN INO」となってるという。輸出用にちょこっと手を入れて、ナレーションも吹き替えるつもりがそこまで行かなかったとか??こちらもまだまだ「何かある」って感じですね。
あ、最後に「バクダット姫」に関する重要な(かも知れない)細かい情報を。ちゃんと控えられなかった冒頭のスタッフロールの中に、「字幕:大工原章」というのがあったんです。大工原氏と言えば、これは僕でも知っている、のちに東映動画のアニメーターとして、森康二氏とともに、初期の東映劇場用長編作品を中心的に支えていく方ですね。大工原氏もまた、昭和17=1942年の芦田作品にその名が見えますから、この作品に参加してるのは当然なんですが、「字幕」ってのがよくわからない。トーキー映画ですし、字幕なんてなかったわけで、いったい何のことなのやら。もしかしてオレが見間違えたのか?でも「字幕」と見間違える単語って何?多分「字幕」で合ってます。アニメーション研究者のみなさん、よろしく御調査のほど、お願いします。

*このエントリは、自宅で一切参考文献等見ずに書いていますので、明日研究室でいろいろ見直して補足や訂正があったら、書き直します。