宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

専門家ではないので

恐る恐る書きますが、アニメートの技術的な側面についても、特に革新的なものはなかったと思います。芦田巖の戦前・戦中の作品の水準で作られているといってよく、従って、昭和18=1943年の「くもとちゅうりっぷ」(政岡憲三)や昭和20=1945年の「桃太郎・海の神兵」(瀬尾光世)が示した到達点より一段階前のレベルの作品だということになります。物語構成においても、上に述べたような工夫はあるものの、「桃太郎・海の神兵」に比べれば、ほぼ独立したエピソードをたくさんつないだだけ、といった言い方もできなくはない単純さだと言えるでしょう。
うかつにもメモを用意せずに見始めてしまったために、冒頭にかなり詳細なスタッフロールがあったのに、記録しそびれてしまったのですが、館で配布されていたリーフレットには「作画:福田里三郎」とのクレジットが見えます。上のフィルムセンターのページを見ると、この人は少なくとも昭和13=1938年には、芦田の下で仕事をしていた人のようですが、もちろん、この人一人がすべての作画をまかなっていたはずはなく、実際、シーンごとにかなり作画のレベルのばらつきがあります。必ずしも優秀なアニメーターに恵まれた中での製作ではなかったことがうかがわれました。バクダット姫の目は横長なんですが、一場面だけ縦長になってたり、姫以外のキャラクターはみんな4本指なのに、ペルチャ王子だけ5本指になってたり。