宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

さて、

このいささか強引に面白さを優先したような議論は、もちろん、「監督・芦田巖」の「意図」を推定するようなものではありません。作品は、作り手の手を離れてある歴史的文脈の中に置かれたとき、「作者の意図」を超えたり逸脱したりするような意味を、帯びてしまうことがあり、同じ文脈の中にある他の作品との間で、ある種の共鳴を起こすことがあるわけです。その共鳴の面白さへの感覚を開かないのであれば、ある作品を論じるのにその作品の製作年など気にする必要はないと言ってもいいでしょう。
わずか50分の「バクダット姫」という作品は、しかしそのわずか50分の間に繰り広げられる視聴覚的な快楽を越えて、その作品について、他のアニメーション作品や当時の歴史的状況と照らし合わせながら、あらためてそれについて考えるという楽しみをも与えてくれました。そのことをここに、書きとめておきたかったのです。