宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

2011年3月11日から5年

 いろいろなことが思い出されますが、ふとツイッターのタイムラインに当時水木しげるがニューヨークタイムスに寄せた強烈な1枚のマンガ(とあえて言いますが)が流れてきて、自分も当時それについて書いたことを思い出しました。
 震災で命を奪われた方々と、震災を経験したその後を生きている方々(「私たち」と言うことに少し躊躇があります)に改めて思いをはせつつ、これを転載して記憶のよすがにしたいと思います。
 西日本新聞で連載していたコラム「マンガは生きている」の2011年4月分(今すぐ掲載紙が出てこないので日付が分からないのですが)で、水木のその1枚と井上雄彦の「Smile」について書いています。

 東日本大震災の後、我々がこの世界の現実に向き合うための力と方法を提供してくれている作家の仕事を、二つ紹介したい。
 一つは、水木しげるが、ニューヨーク・タイムズの依頼に応えて描いた一枚の絵だ。3月20日付の同紙に、カラーで掲載された。
 水面に突き出している右手。五本の指は、つかめるものなら何でも全力でつかもうとするかのように、大きく開いている。画面の奥には、津波で水没したと思しき家並みが遠くに見えるが、突き上げられた手の周りに、その手でつかめそうなものは何一つない。
 言うまでもなく、水木は、津波の被害のあったどこかに行って、実際にあった情景を写生しているわけではない。その意味で、この絵は、いかなる事実の再現でもない。
 にもかかわらず、この絵は、見る者にとって、今まで見えていなかったもの、もっと言えば、自分ではそれと意識しないままに、見ることを避けていたものに、いきなり直面させられるような、力を持っている。
 新聞も雑誌もテレビも、今まさに津波に飲み込まれようとしている人や、すでに亡くなってしまった人の遺体を、映像として提示することは避けている。意図せず映ってしまった場合も、編集段階で、それが読者や視聴者の目に触れないように削除する作業が行われているはずだ。
 それは、当然なされるべき配慮であって、この過酷な現実を直視するために、遺体も何も包み隠さず報道せよ、などとは私は思わないし、水木も思っていないだろう。
 だが、その一方で、この震災の中で、まだ生きたい!という強烈な意志を最後まで持ち続けていた人の命が、いくつもいくつもいくつも奪い去られてしまったことを、忘れていいわけではない。
 だからこそ、特定の事実をそのまま映し出した映像ではなく、忘れてはならない数多くの無念を、集約的に表現したこの絵が、大きな意味を持つのである。
 今、様々な場面で、自粛の是非が議論されている。生き残った者は、被害に合わなかった地域は、むしろそのことを喜び、感謝し、極力いつも通りの経済活動を続けるべきなのだ、という意見も多いように見える。結論だけ言えば、私も同意見だ。
 だがその結論は、水木のこの絵が表現しているものを受け止めた上で、万感とともにたどり着いたものであるかが、問われていると思う。
 この水木の1枚に拮抗する強さを持って、今この時に、笑顔を描き続けることの意味を、表現として成立させているのが、井上雄彦である。
 iPadで描いた絵を、「祈る」の一言とともに3月12日からほぼ毎日描き続け、ツイッターを利用して発表し続けている「Smile」と題されたシリーズは、全国各都道府県の名前が入ったユニホームを着た、バスケットボール選手の少年少女を中心に、老若男女、様々な人々の笑顔の絵になっている。
 一つ一つの絵の質の高さ、そして、連日何点も描き続けるというその行為の持続が、見る者を打つ。井上雄彦は、今日も笑顔を描いている。そのことが、深い悲しみの中にある者を、あるいは漠然とした不安の中にある者を、勇気づけている。
 今、この状況の中でしか生まれない表現でありつつ、今、この状況を離れてもなお、その強さを保ち続けるであろう普遍性を兼ね備えた表現であること。その両立が、重要だ。
 そしてそれが、新しいメディアの特性を最大限生かした形で生み出され、広がっていること。さらにそれが、Tシャツやポストカードといった形で、異例の速さでチャリティ・グッズになっていっていること。この一連の展開に、私は、今を生きるマンガの姿を見る。
 地獄の苦しみと極楽の喜びは、いつも我々の隣にある。誰もが冷静さを失っている中でも、そのことをストレートに思い出させてくれる力を、マンガは失っていない。水木と井上の仕事が、それを証明している。マンガは、生きている。