宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

大船渡へ行ってきました(1)−長安寺「親鸞」屏風編−

 もう間もなく卒業式、という先週、井上雄彦さんの「親鸞」屏風が、大船渡のお寺で公開されると知り、行けるとしたら卒業式の翌日とその翌日の2日間だけ、と分かりました。
 今の仕事の詰まり具合を考えると、無理、だと思いました。
 また、ざっと旅費など考えても、その金額をまるまる被災地のために寄付した方がいいんじゃないかとも思いました。
 が、この2日間という物理的に可能な時間がある、というのは、行くしかない、ということだろうと卒業式の26日に決心して、27日の夕方に仙台まで行き、28日の朝、仙台から水沢江刺まで新幹線で行き、そこからレンタカーで片道2時間弱かけて大船渡へ向かいました。


 井上雄彦さんが描いた「親鸞」屏風は、親鸞の750回忌を記念して、浄土真宗大谷派東本願寺が依頼して描かれたものです。一昨年から制作のための取材旅行なども重ねた上で、運命的にも昨年の3月10日に完成したというエピソードもよく知られているかと思います。


http://www.flow-er.co.jp/shinran/
http://higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=384


 上の東本願寺のサイトにもあるように、昨年4月以降、東本願寺で何度か公開され、作成されたグッズの収益は義援金として寄付されてきました。
 そして今回、大船渡市にある、同じ真宗大谷派の寺院、長安寺でこの「親鸞」が公開されることになったわけです。


http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m03/h1203231.html


 上の岩手日報の記事にもあるように、今回の公開に合わせ、井上さんは、現地で当日の朝までかかって、左右二隻のうち、右隻に加筆しています。
 僕は去年の京都での公開はことごとくタイミングが合わず、見に行けていません。
 また、震災後、自分のゼミ生の実家が被災したりといったこともあり、関心は持ち続けてきたものの、ボランティア等はもちろんのこと、被災地に行くことすらできていませんでした。
 そんな中、積極的に被災地・被災者のために動いてきていた井上さんが、さらに大船渡で加筆し、公開される「親鸞」を見に行けるタイミングがあるなら、行かないわけにはいかないだろうと、思ったわけです。
 実際問題、ほぼ屏風を見に行って、あとほんの1、2時間、大船渡市街の様子を見られるだけ、なのは分かっていて、それで少し躊躇もしましたが、とにかく行こうと。
 ちょうど、例年ちょっとした虚脱状態になってしまう卒業式の直後でもあるので、どうせぼーっと過ごすなら、思い切って行って気持ちを切り替えようというような考えもありました。


 で、大慌てでどうやって行けばよいか調べ始め、気仙沼から先の鉄道が回復していない状況で、バスなどの本数も限られていて、日帰りは無理、と判断。旅館やホテルの多くが被災し、営業しているところは工事関係者やボランティアの方々が泊まっていると思われる大船渡はそもそも空室がなく、仮にあったとしても僕みたいな絵を見に行くだけの人間が泊るべきでもないだろう。電車で行ける気仙沼も似た状況。とにかく前日仙台に泊るのがベストとと判断しました。
 仙台からは大船渡行きの高速バスもあるのですが、これは、地元の、車が運転できない人たちの貴重な足になっていることが、バス会社に電話して聞いた様子からうかがえたので、これもやめにしました。
 で、結局、水沢江刺からクルマ、というのが、もともと公式にもすすめられているルートなので、ベストだと判断しました。


 仙台を9時前に出て、10時過ぎに水沢江刺を車で出発。当日は朝から冷たい雨が降っていました。水沢江刺から大船渡へのルートはひたすら峠道。途中トンネル内が凍結しているところもあり今朝も事故があったのでくれぐれも安全運転をとレンタカー屋さんに言われ、若干ビビりながら、車を走らせました。雨は途中から雪に変わりました。



 宮沢賢治の作品でおなじみの種山ヶ原の道の駅。この辺が一番雪が多かったです。
 うわー、マジかよと思いながらさらに進むうち、次第に雪・雨は上がってきました。そして11時40分ごろ長安寺に着いたころに、ちょうど雨がほぼ止みました。





 古刹というのがふさわしい、木造の、歴史を感じさせる大変立派なお寺です。大船渡市内からは車で10分ほどのところですが、海は見えず、「お山」のお寺というロケーションです。



 ちょうどお昼どきということもあり、僕がいた小一時間の間は10〜20人くらいの人がいる程度、昼下がりの人が多い時間帯でも20〜40人程度だったようです。



 落ち着いた、厳かな雰囲気の、広々とした本堂では、中央奥のご本尊をはさむように、左右に屏風が置かれていました。我々が普通座る板の間から一段上がった、お坊さんが読経する畳のスペースのところに屏風はあるのですが、特別にその畳のところまで上がって、屏風を間近に見ることが許されていました。
 そのおかげで、板の間で、ご本尊の正面に正座した状態で左右の屏風を見るという、いわば本来の見方もできましたし、筆触を目でなぞるように間近で見ることもでき、ゆったりと堪能しつくすことができました。


 堪能、と今書きましたが、違うんですよね。やっぱり。絵を鑑賞してるって感じじゃないんですよ。
 本当に「拝観」しているというか。当たり前ですが、置かれている空間も、絵が描かれた理由も、描かれている内容も、宗教性を帯びているわけで、現世を超越するものへの/からの視線を、感じさせる力があり、心を揺さぶられた後、次第に穏やかになって来る変化を経験するというか。


 屏風絵についても仏教画についても全く常識がないので、この「親鸞」屏風が一般的なそれらと比べてどのような特徴を持っていると言えるのか、分かりません。
 が、なんとなくの印象として、左右どちらの親鸞も画面の左を見ていて、見る我々の方は向いていない、というのは重要なのかなと思います。
 日本の漫画においては、載っている本が右開きなので、読者は、画面の右から左へと視線を動かします。コマ割りも、コマの中のキャラクターの配置も、時間が右から左へ流れるように配置されます。右が過去、左が未来になります。
 様々な表情をした人々の前に立って泥の河を進む右隻の親鸞が左に向かっているのは、過去を振り返らず、黙々と未来に向かって進む力強さを感じさせます。
 一方、僧衣を着て座り、カラスに目を向ける親鸞が左を向いているのは、見ているのがカラスであることから一層、自分を待ち受ける死やその後に思いをはせているように見えます。
 という通り一遍の「解説」以上のことを、今ここできちんと論じることはできないようです。


 今回加筆されたのは右隻の親鸞の後を歩く人々に対してだったようです。上の岩手日報の写真と、下のグッズ紹介ページの同じ絵を見比べてもらえれば、ある程度その違いがお分かりいただけるかと思います。
 

http://www.flow-er.co.jp/shinran/shop/


 僕は元の状態を見そびれているわけですが、加筆前の状態では、先頭に立つ親鸞と、後に続く人々の描き方に差があったようです。黒い衣をまとった親鸞に対して、人々の方は衣の白さが際立っています。導く人と導かれる人の対比にもみえる一方、もう一人の僧侶がいることによって、その対比があいまいになっているとも言える。
 が、今回、井上さんは、後に続く人々にも、しっかり墨を入れています。親鸞も、その後を進む人々も、同じ重厚感を持って描かれた形になりました。これは、明らかに、この絵の表現する思想の深まりを意味していると思います。
 必死の形相で親鸞について行く人も、うなだれながら歩く人も、狂乱の後の放心状態に見える人も、親鸞と同じ重みをもつ存在として描くことを、井上さんは大地震からちょうど1年後、大船渡で選んだわけです。


 本堂の一角で、グッズを販売しているのが仙台での「最後のマンガ展」でお世話になったIさんであることに気付き、少しお話しさせてもらえたのがうれしかったです。
 他の参拝者のみなさんもそれぞれに感激・感動されているようでした。東本願寺から毎日日替わりで若い僧侶の方々が来て、解説をされているそうでした。僕はたまたまお話を伺えるタイミングがありませんでしたが、熱心にていねいに解説されている様子も素敵でした。
 本当にこの絵を見る上では最良の環境・機会だったと思います。



 本堂を出てふと気付くと、鐘つき堂の近くの桜のつぼみがふくらんでいました。空はすっかり晴れています。



 おなかも空いてきました。大船渡市街でお昼を食べようと、山から港の方に向かいます。