大船渡に行ってきました(2)−大船渡市内編−
事前にここに行きたいと思っていたのが、復興屋台村です。
もちろんカーナビにそのまま入っているとは思いませんでしたし、ナビに載ってる道が通行止めになってたり、工事中だったりってことは予想していたんですが、住所表記ははっきりしているので、何とかたどり着けるだろうと思って行ったんですが、そもそもあまりいいナビじゃなかったこともあってか、迷いに迷い、余裕があれば行ければと思ってたおさかなセンターに先に着いてしまいました。
ところが残念ながら食事ができるお店が水曜定休日。
http://www.ougonrail.com/ofunato-kaki.htm
仕方なくもう一度車を走らせ、やっと屋台村に辿り着きました。
大船渡港に面した、周りはほぼ何もなくなってしまっているところに、プレハブの長屋が集まっています。もっと市街地に近いところにあるんだと思っていたので、少し驚きました。
この時点ですでに14時半を少し回っていました。
楽しみにしていたお店のほとんどがランチタイム終了、または夜のみの営業。開いているお店は3件ほどしかありません。
やべー、少しでも被災地でお金を使おうなんておこがましいことを思っていたのに、このままではコンビニのおにぎりになってしまう、と思っていたら、14時半でランチ終了と書いているお店の中にお客さんがいてお店の人と話している様子が見えました。
開いているお店の中では一番地元の食材・料理が食べられそうなお店だったので、のぞいて聞いてみると、いいですよと入れてくれました。
屋台村ブログでも一番人気らしい、「おふくろの味 えんがわ」さんです。
http://engawa1960.5502710.com/
ブログに載ってる写真の娘さんが客席の方におられ、奥の厨房でやはり写真に載ってるおばあちゃんが作ってくれます。厨房にはもう一人おばあちゃんがおられました。
料理の写真も快く撮らせてくださいました。「ひっつみ汁」の定食500円。
けんちん汁のような透明のおつゆに、根菜と、小麦粉を練ってちぎった「ひっつみ」を入れたひっつみ汁はもちろん、なんてことなく見える炊き込みご飯がほんっとにおいしくてびっくりしました。漬物もおいしかったし、すごく幸せな気分でした。
雑誌に載せてもらったんですよ、と女性週刊誌の記事を見せてくれました。あとでブログを見たら、テレビの「バンキシャ」でもドキュメントになってるんですね。ほんとに何も知らずに行ってお恥ずかしい限り。
屋台村の周辺はこんな感じ。大船渡線の線路が途切れ、線路わきのガードレールがぐにゃぐにゃになっています。
こういう言い方はもしかするとすごく失礼なのかもしれませんが、ここにまた店を構えるというのは、すごいことだなと思いました。
だってここは、また地震があったらまた津波で流されるかもしれない場所であり、地元で地震を経験した人にとっては悪夢のような記憶が刻まれた場所だと思うんです。
その記憶が何度もよみがえり、また津波が来たら、という不安も感じるような場所に、あえてお店を構えるというのは、すごい意志と勇気の表明だなと思ったんです。でも、こういう言い方自体、地元への強い愛着のないよそ者の感覚なのかもしれません。不快に思われた方がいたらお詫びします。
そろそろ水沢江刺に向かって帰らないといけない時間になってきました。しばらく車で港を海沿いに走ります。
報道で見たことのある光景もありますが、やはり自分でその場に身を置いてみると、全然違います。
ナビには出ているこの線路が、ないんですよ。道も、ナビが連れて行こうとするところが通行止めどころかそもそも水につかってしまっていたりすることもありました。
時間もあまりないので、そのまま再び長安寺の方に向かって車を走らせていたところ、知り合いで大船渡高校出身のKさんが、僕が大船渡にいることを知って、三陸鉄道の盛(さかり)駅は吉本浩二さんの「さんてつ」の舞台なりとの情報をくださいました。
さんてつ: 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録 (バンチコミックス)
- 作者: 吉本浩二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/03/09
- メディア: コミック
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おお、まだ読んでないけど読もうと思ってたあれか、といったん通り過ぎてた盛駅へ引き返します。時間は、まだ20分くらいは余裕あるはず。
かわいらしい黄緑の看板の駅がJRの駅と並んでいます。
待合所の中は、お土産物が売っていたり、手作りケーキとコーヒーなどがいただけるちょっとした喫茶スペースになっていたり。ごちゃごちゃ物がいっぱいある感じが昭和感たっぷりで落ち着きます(笑)。
鉄道ファンの方がよく訪れるらしく、カメラをぶら下げた僕もそうだと思われた駅員(?)の方が、どうぞどうぞと駅構内まで案内して下さいました。
ホームには、3月11日に津波につかってエンジンが傷んでしまった車両が一台泊ったままになっています。車内の座席などは無事なので、カラオケや宴会等に使えるようにしているとのこと。
海が見えるような位置ではありませんが、ここまで津波が来たということです。
跨線橋には被害の様子の写真や「さんてつ通信」などが貼られていました。
そろそろ時間がやばくなってきました。でも、迷子になる内、買いそびれていたおみやげが思いがけずしっかり買えてよかったですし、まさかの三陸鉄道ホーム案内までしていただけて、ラッキーでした。
帰りの山道は、夕暮の空がほんとにきれいで、走っていてすごく気持ちよかったです。
あ、でも行きも帰りも車中では地元の民放AMラジオをかけっぱなしにしてたんですが、想像以上に、どの番組でも必ず震災に話題に触れているし、地元企業のCMが必ず被災された方々へのお見舞いの言葉から始まるんですよね。前夜に震度5の地震があったこともあったでしょうが、ほんとに全然まだ震災は続いてるってことがよくわかりました。すれ違う車もほとんどがダンプトラックでした。
乗ろうとしていた新幹線の出発20分前に水沢江刺駅に到着。駅でぼーっと待つ時間があることも想定していたんですが、ドンピシャでした。
盛駅で買ったお土産。「がんづき」という郷土のお菓子や、鉄道むすめのプリントされたせんべい、手作りのカップケーキなど。いいお土産がたくさん買えてよかったです。カップケーキもがんづきもその日のうちに食べてしまいましたが、どちらもおいしかったです。
18時前発の車内で小原庄助弁当を買っていただきます。
車窓から見えるたそがれ時の空。雨の中出発した朝には想像もしなかった、何度も幸福なご縁を感じた旅でした。
長安寺では、2年前に仙台でお世話になったIさんに再び東北でお会いすることになり、迷子になったのにたどり着いた屋台村で、ほんとなら食べられない時間においしい食事をいただき、寄るつもりのなかった盛駅にぎりぎり寄れるタイミングで知らせに気付き、駅では思わぬ歓待を受けたわけで。
「最後のマンガ展」の中に出てくるセリフに即して言うと、まさに「必然に導かれたのだ」という感じの旅でした。
今回自分は大船渡のために何かしたわけでは全くなくて、ベタないい方ですが、自分の方が助けられるような感じだったわけですが、自分で行って、見て、地元の人たちが方言で話す声に触れた、ことによって、やっぱり今までは情報でしかなかった「被災地」に対する認識が変わった部分はあるし、それは今後の自分にも影響してくるし、それが回りまわって、ほんの少しでも復興に役立つ何かにつながるかもしれないし、そうでないといけないなと思います。
と、例によってだらだら長くなってしまいましたが、こういう旅ができたきっかけが得られたことを、井上さんになのか、親鸞さまになのか、仏様に、なのか分かりませんが、本当に感謝したいと思います。ありがとうございました。