宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

昨日は「吾妻ひでお美少女実験室」展と「ブッダ展」を

 学生たちとはしごしました。



 吾妻展については、先日このブログでも書きました。


http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20110426/1303804608


 昨日は、僕の講義「アニメーション文化論A」と「日本漫画史A」の受講者の1,2年生+4年のゼミ生、それから北九大のときの学生(ゼミ生じゃないんですけど)で今こっちで働いてる子(っていうのも失礼ですが)が飛び入りで来てくれました。
 みんな吾妻ひでおについての予備知識はありませんでしたが、展示の解説がしっかりしてるので、僕が簡単な紹介をしただけで、あとは自由に見てもらいました。でもみんな1時間余り、みっちり堪能してくれた模様。いい展示ですもんね。



 その後、上野に移動して東京国立博物館で開かれている「手塚治虫ブッダ」展。
 手塚治虫の「ブッダ」のアニメ化に合わせた、ま、ぶっちゃけプロモーション企画だと思います。


http://www.budda-tezuka.com/index2.html


 「ブッダ」のストーリー展開に沿って、作品の原画と、それに対応する仏像を展示する、という企画で、正直、期待より不安の方が高い感じで見に行きました。
 で、実際は、「ブッダ」という作品は知らないけど手塚は知ってる、とか、仏像って興味あるけど、いまいち見方が分からなくて…、といった程度の興味・関心の人にとっての入門としては、いいんじゃないかな、と思いました。
 実際、僕も、仏像には、全く明るくないので、なるほどーと思うことも多かったです。
 マンガ研究者としては、もうちょっと「ブッダ」という作品そのものに対する掘り下げが欲しかった気はします。
 といっても、マンガ論プロパーの観点からではなく、せっかくこういうアプローチにしているわけですから、むしろ、仏教や仏像の専門家から見たときに、「ブッダ」という作品はどう見えるのか、というのを知りたかったですね。
 マンガ論の界隈では「ブッダ」って、悟りを開いてからも、というか死んだ後もまだ、全然悟ってないよね、いっぱい悩んで、色々執着してるよね、みたいなことがよく言われていて、僕もそんな気がするんですが、実際、仏教そのものにも仏典にも詳しくないので、専門家から見てどうなんだろう、というのは前から興味あるんですよね。
 手塚自身は、これはあくまで手塚による宗教SFですから、みたいなことを言っているんですが、ブッダの生涯に関する諸説についても詳しくないものとしては、仏典に語られている、あるいは宗教史的な研究によって明らかにされている、ブッダの生涯の様々なエピソードのうちのどれを選び、どれを捨てていて、手塚オリジナルのエピソードはどれで、それぞれの取捨選択や、創作に、どんな意味があるのか、仏教者、あるいは宗教史家の視点からの解釈があるとうれしかったかなと。
 そしてさらにそうした解釈と照らし合わせて、仏像が表現しているその都度のブッダのあり方との相違点と共通点をはっきりさせていく展示の工夫なんかも、もうちょっと、できたんじゃないかなと思いました。マニアックになりすぎない範囲で。
 というわけで、規模も思ったほど大きくないというか、吾妻展よりちょっとだけ大きいかな、くらいの規模だったこともあり、結局吾妻展と同じくらい、またはそれ以下の時間で見られる展示でした。実際、吾妻展の方がはるかに密度が高くて、展示の工夫もすぐれた展覧会だと思います。
 もちろん、ガンダーラとかの仏像が間近に面白い切り口で見られるのも、よかったですし、マンガ展というもののバリエーションを増やすという意味では、有意義な工夫だとは思いました。



 最後に、最近アップされた、森川嘉一郎さんによる、吾妻展のプロモーション映像を。こんなんまで一人で作れちゃう森川さんてほんと何者なんでしょうか。