宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

国会図書館でのお話と、児童文学館の存廃問題の真の論点

 18日は、結局国会図書館に早めにお邪魔させていただき、民主・上の議員と、共産・山本議員の知事質問をネット中継で見させていただいた上で、雑誌課職員のみなさんに、マンガ雑誌の資料的価値や、その保存・運用に関するお話をさせていただきました。
 出版物の納本制度に支えられている国会図書館には、原則としてあらゆる種類のマンガ雑誌が、納本制度の開始以来、継続的に収められているわけですが、他の雑誌類に比べて利用率が高いため、経年劣化だけでなく物理的破損の問題にも他の雑誌類以上に、対応が必要な状況になっているようです。
 そうした中で、では、今後、国会図書館では、マンガ雑誌の保存と利用提供のバランスをどのように考えていけばよいのか、が雑誌課のみなさんによって検討され始めている、ということで、そのための勉強会のような形で、今回僕がお話しさせていただくことになったという次第です。
 国会図書館所蔵のマンガ雑誌が、他の雑誌以上に、強く物理的破損の危険にさらされている、あるいはすでに被害をこうむっている、ということは、研究者として以前から経験的に感じていたことではありましたが、今回雑誌課職員のみなさんがまとめられた調査報告によると、所蔵雑誌全体に占めるマンガ雑誌の比率は0.29%であるにもかかわらず、閲覧雑誌全体に対するマンガ雑誌の閲覧数の比率は4.59%と、「タイトル数の比率に対して閲覧される比率は13.86倍にも及んでおり、マンガ雑誌は所蔵タイトル数が少なくても、他の雑誌に比べて利用が集中している」事実が明らかになり、「具体的には、『少年ジャンプ』や『花とゆめ』などを含む」「Z32番台の資料は、資料の経年劣化・物理的破損が激しく、対策の優先度が高い」という問題意識が持たれています。*1
 で、今後、こうしたマンガ雑誌資料の保存と利用提供のバランスを検討し直し、なんらかの「対策」を講じていく上での基礎的な認識を共有するために、僕を呼んだいただいたということなのでした。
 僕としては、そんなに変わった話はできないものの、一応、ご依頼の際にいただいた、大きくわけて5つの論点について網羅して、その後詳しく掘り下げたディスカッションを、ということで、お話を始めました。全部を紹介すると長すぎますし、またその必要もないと思いますので、児童文学館の資料移転問題にも関わってくる、最初の2点について、レジュメから抜粋しておきます。 


1.マンガ雑誌とは何か
そもそも「マンガ雑誌」とはどこからどこまでを含むのか?→定義の問題
現在、主要な「マンガ雑誌」と考えられる雑誌:必ずしも「マンガ専門」の雑誌として創刊されていない。←特に歴史の長いものほど。Ex.)『なかよし』、『りぼん』、『週刊少年サンデー』、『週刊少年マガジン』等々。

少年少女向け総合(娯楽)雑誌が、次第にその比重をマンガ中心に移してきた経緯。
⇒歴史研究的には、むしろそのことこそが、雑誌を見ることで初めて分かる、研究上重要な事実。
だがそうすると、「対策」を講ずるべき対象の範囲が、非常に広くなってしまうという困難。←誌面におけるマンガの比率が半分をちょうど超えた頃に廃刊になっていった少年少女月刊誌(『少年クラブ』、『少女クラブ』等々)はどうするか、など。
現在でも、我々が「マンガ雑誌」とみなしているものの多くは、必ずしもマンガ専門誌ではない。
Ex.)表紙・巻頭グラビアがほぼ毎号アイドルの水着写真になっているヤング誌など


2.マンガ雑誌の保存の意義
研究上のマンガ雑誌の意義
 文献学的な、異版研究の基礎資料として。
 その作品しか載っていない単行本からは分からない、初出の状況、すなわち初めに世に出された時、どのような雑誌の中に、どのような役割・文脈を与えられて、置かれていたのかを知ることができる。
 雑誌そのもののあり方(書誌学的な諸特徴から、読者層、出版販売戦略等まで)の通史的・総合的な比較研究は、日本の、マンガ出版産業、マンガ受容環境、マンガ読書習慣、など、一言でいえば「マンガ文化」と呼ばれるものの編成を分析し、それを日本の文化史・社会史全般の中に位置づける上で、不可欠。
マンガ雑誌と呼べる程度にマンガの比重の高い雑誌であっても、だからこそ、「マンガ以外」の要素も同じくらい重要。


 1.の論点は、先に紹介した雑誌課のみなさんによる調査報告でも触れられている点で、この調査では暫定的に、「児童誌・学習受験誌」の分野とされる「Z32」で始まる請求記号の、東京本館所蔵雑誌(「ほとんどが少年・少女向けのマンガ雑誌とみなしてよい」)に限定したとされています。上野に国際子ども図書館が設立されたことで、上で触れたような月刊誌を含む、多くの「Z32」資料が、子ども図書館に移されており、また、「Z31」(「大衆娯楽誌」)に含まれれる青年・大人向けマンガ雑誌は、除外されているので、先に紹介した数字は、かなり限定的なものと言えるわけです。従って、実際には、マンガ雑誌の利用率の高さは、上のデータ以上になっていると考えられます。
 いずれにしても、この、1と2の論点は、「資料」というものの特性や価値は、極めて多面的なものであり、その分類の仕方ひとつとっても、それ次第で、その資料の、研究上の見え方、資料の保存と利用提供のバランスを考える上での捉え方が、異なってくるという、慎重な検討を要する問題だということに関わっています。
 資料はただどこかにあればいい、というものではありません。それをどう分類・整理し、資料の保存と、(資料の破損・汚損を促進してしまう)利用提供とのバランスという、永遠のジレンマとどう向き合っていくかというノウハウの蓄積が必要であり、一言でいえば、資料のことを本気で考え、資料の特性、その保存と利用提供のバランスを考えるために必要な、様々な専門的知識に通じた「人」が必要なのです。


 要するに、大阪府立国際児童文学館の存廃問題とは、資料をどこの建物に置くかとか、それをまとまった状態で置いておくことにこだわるのか、それとも一部返還して散逸させるのか、というような問題ではありません。資料を守りつつ、しかも可能な限り広く利用に供して行くという繊細きわまる実務を遂行する専門的な知識と職能の持ち主の必要性を認めるのか否か、という問題なのです。
 返還要求をされている寄贈者のみなさんは、それをぜひ必要だと考え、それを最もよく備えているのが現在の財団法人大阪国際児童文学館であると考えている。橋下知事と、綛山教育長は、その必要性をほとんど認めておらず、府立中央図書館には「司書がいるから」大丈夫だと言っている。しかし、その府立中央図書館は、70万点もの資料が移管されるにもかからず、それに対応した司書が増員されるなどの予定も示されていないばかりか、中央図書館自体が「大阪版市場化テスト」の対象とされ、今までの司書の蓄積してきたノウハウの継承さえ危ぶまれている状況なわけです。要するに、児童文学館の資料など、誰が管理しても同じなのだと言っているに等しい。これが、現在の対立の構図です。この、本当の論点が、どうにもきちんと理解されないまま、報道が行われ、府議会では半年以上も、不毛きわまる議論が繰り返されている、というのが、僕の理解です。
 「70万点の貴重な資料を、早く子供たちに見せてあげたい」と言い募り続ける橋下知事は、資料を「見せる」、すなわち利用に供することしか考えていないようですから、「守る」ためのノウハウなど眼中にないのでしょう。しかし、広く見せれば見せるほど、「守る」ことは困難になり、それは早晩「見せる」こと自体を困難、または不可能にしかねません。現に国会図書館ではそうした事態が、「対策」を要するものとして意識され始めている。
 資料の「保存」と「公開(利用提供)」の永遠のジレンマというのは、図書館や、博物館に関わる者にとっては、イロハのイに当たる根本的な問題の一つです。「守る」ことを抜きにして「見せる」ことのみを優先するのは、資料を、いわば「生き急がせている」ようなもので、本当に、できる限り長く「活かし続ける」ためには、「守る」と「見せる」のバランスをめぐる検討がどうしても必要なのです。
 この程度のことは、別に専門的な勉強などしなくても「ちょっと考えれば分かる」範囲の話のはずです。にもかかわらず、それを理解しようとしない知事と、この程度のことさえ、知事に教えることのできない教育長が、財団の切り捨てと、資料の強硬移転を推し進めているのです。僕は今のところ返還要求訴訟に直接関わってはいないので、直接鳥越先生たちにお聞きしているわけではありませんが、この訴訟を支えている危機感は、実に、この、知事と教育長が共有しているらしい、資料を守り、最も良い活かし方を考え、実践するための、専門知、専門的職能に対する、恐ろしく低い認識に対するものだと、思われます。

 というわけで、今日の国会図書館でのお話に絡めて、最も重要だと思われる論点について、述べてみました。もちろん、このこと以上にさらに別の広がりのある話を、国会図書館ではさせていただいたのですが、それはまたの機会にということで。ディスカッションでは僕にとっても勉強になるお話がたくさん聞けました。機会を与えて下さった雑誌課のみなさん、ありがとうございました。

*1:高久真一、塩崎亮、久永茂人「国立国会図書館における少年・少女向けマンガ雑誌の利用状況」『現代の図書館』Vol.46 No.4、2008年