宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

街頭紙芝居研究者から見た大阪府立国際児童文学館の資料と活動の意義

 城西国際大学准教授で、街頭紙芝居研究者の姜竣(かん じゅん)さんがお出しになった、大阪府立国際児童文学館の存続を求めるパブリックコメントを、姜さんにお願いして、こちらに転載させていただくことになりました。
 姜さんは、民俗学をベースに、広く学際的な視野から街頭紙芝居の研究を続けておられ、昨年出された『紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代』で、注目を集めた方です。今年の京都国際マンガミュージアムでの「紙芝居百年展」では展示の一部の監修、および関連イベントとしてみなもと太郎氏と対談なさったことで、マンガ研究に興味のある方はご存知かと思います。とりあえず、久田恵氏による『紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代』の書評と、北田暁大氏による紹介に、リンクを張っておきます。


http://book.asahi.com/review/TKY200712250310.html
http://book.asahi.com/review/TKY200710160276.html

紙芝居と「不気味なもの」たちの近代 (越境する近代)

紙芝居と「不気味なもの」たちの近代 (越境する近代)


 姜さんのパブリックコメントは、今回の存廃を巡る議論ではほとんど重視されていないように見える、貴重な街頭紙芝居(学校や公立図書館にある印刷紙芝居ではありません!)のコレクションの意義のみならず、その保存・管理・運用面での児童文学館の仕事の優れた点、そしてその仕事が府立中央図書館ではおそらく継続困難であることを、大変明解に説明されています。このコメントが、きちんと受け止められることを切に願っています。

 大阪府立国際児童文学館の存続を要望します。


 私は、この15年間、街頭紙芝居の調査研究に従事している研究者です。各地に現存する街頭紙芝居を調べ、生産者へのインタビューを行い、それらに関する歴史資料を発掘しながら、主に民俗学、人類学、メディア史の立場で文化研究を行っています。その成果は学術論文や一般向けの著書を通じて発表し、大学での教育に活用しています。また、調査の過程で知りあった街頭紙芝居の製作者や収蔵機関の協力を得て、展示会を企画または監修するなどの社会的な活動も行っています。
 大阪府立国際児童文学館は全国有数の街頭紙芝居のコレクションを有する機関です。それは、地元大阪で昭和20年代(1950年頃)から街頭紙芝居を製作し、現在も貸し出しを行っている三邑会という団体が、数回にわたって大阪府に寄贈したものです。三邑会からは981年に892巻が寄贈されて以来、1991年までに約3,500巻の街頭紙芝居が大阪府に寄贈されました。いまでこそ各地の資料館や博物館や図書館が街頭紙芝居を収蔵するようになり、あるいは、所蔵していたことが判明しましたが、国際児童文学館はそれらに先駆けて、街頭紙芝居資料の管理や運用の仕組みを作り、閲覧と展示利用に取り組んでいました。
 街頭紙芝居は、製作と上演、流通と消費の仕組みが非常に特殊なもので、だからこそ、日本にしか存在しないメディアです。国際児童文学館の保管と運用は、その本質をよく理解した適確なものです。私は、宮城県図書館仙台市在住の紙芝居屋さんから膨大な量の街頭紙芝居を受け入れた際に、臨時職員としてその補修と保管、書誌情報の整理の作業をした経験がありますが、そこで、国際児童文学館の例が大変いい見本になりました。
 ところが、目下、大阪府が当館の廃止と街頭紙芝居の府立図書館への移管を検討していることを知りました。そこで、街頭紙芝居の製作と上演、流通と消費の独特な仕組みを説明し、なおかつ、宮城県図書館の取り組みを参照しながら、いわゆる図書館で街頭紙芝居を保管し、運用することがいかに困難であるかについて述べ、国際児童文学館の存続を要望したいと思います。


○街頭紙芝居における独特な生産の仕組み
 街頭紙芝居の製作過程は、まず製作者(貸元)が絵描きに大体の話の筋や登場人物のキャラクターに関する要望を言って絵を描かせます。絵描きは、一度に2日ないし3日の間使用できる分の絵を描いて貸元に供給し、貸元はその絵の裏に簡単な筋を書き入れます。街頭紙芝居では、あらかじめシナリオ(文章)で物語の筋を書くということがほんとんなく、したがって話の筋だけを作る作家はいません。そこで、話の筋は製作者、絵描き、上演者(紙芝居屋)たちの間で、その場その場で口頭により紡ぎ出されるのが一般的です。記憶とアドリブで前後のプロットを関連させながらストーリーを展開させ、当然ながらその過程で観客の反応も反映されます。
 そうして作られた紙芝居は、原画のままの状態で紙芝居屋に貸し出されます。紙芝居屋は絵を借りて使うために、通常「○○会」と呼ばれる貸元の組織に、あらかじめ加入している必要がある。こうした貸元は大都会にしか存在しないため、全国各地には絵の生産を行わず、製作者と使用者との貸し借りを媒介する「支部」という組織がある。支部に対して貸元を「本部」と呼ぶことがあり、通常支部の絵代は本部のそれよりも安いです。
 絵は原画そのものを貸し借りするために、本部と支部の間、使用者と使用者の間には絵を使う順番が厳しく守られます。各組織内で使用者たちは、絵を1日ずつ次々に使いまわしていきます。新作の紙芝居を早い順番で使用できることは、テリトリーを確保する上でも有利に働きます。紙芝居屋は、それぞれ大体5〜10ヶ所の、「場所」と呼ばれるテリトリーをもち、4種類くらいの物語を組み合わせて、毎日1話ずつ演じていきます。1話すなわち1日に使用する分量を「1巻」といいます。1巻は約10枚からなり、その上演に要する時間は数分といったところです。一つのタイトルをもつ一連の物語は、短い場合で数十巻、長い場合では数千巻も続くことがあります。
 つまり、一つのタイトルの一連の物語を、1日2〜3巻のペースで製作し、各組織の内部で決められ順番、組織と組織の間で決められた順番に従って、1日1巻ずつ使用します。東京の本部と支部で使われた後、次に関西を中心とする各地の支部、最後に北海道の支部を回って再び東京の製作者のもとに戻ってくるまでに6年がかかった例があったといいます。そうした長い間の、しかも、街頭での使用に備えて、製作者は絵描きが市販の画用紙に描いた原画を、数ミリの厚みがある台紙に張り、絵の表面にはニスやラッカーを塗って、台紙の裏には一枚一枚模範的な筋を手書きで書き入れます。
 街頭紙芝居は、そうした耐久性を増し、保存をよくするための工夫をしても、長い間使っていくうちに角が取れたり、台紙が反ったり、ニスが剥がれたりしますし、中には各地で上演しやすいようにセリフを書き込みしたり一部改編した痕跡があるものもあります。


○街頭紙芝居の本質に適った保管および利用形態
 以上のように、製作、上演、流通、消費の仕組と資料の形態が特殊な街頭紙芝居は、したがって、1冊の書物(漫画本を含めて)や1幅の絵画とは、本質的にことなるものです。街頭紙芝居の内容をまったく知らず、対象が特定できない一般の利用者が、書物のようにまとまった量を開架してある棚から手にとって捲りながら閲覧することは物理的に難しいです。私は調査時に一枚一枚表と裏の写真を撮って、1巻ごとにアルバムに入れて本棚にさしていましたが、それには大変な時間と労力を要しました。
 なぜそこまでして一連の物語を一望しようとするかというと、先ほど街頭紙芝居は脚本が書かれないこと、記憶とアドリブで話の筋を作っていくことと、長い間原画まま各地で流通することを述べましたが、それとの関連で、製作者や絵描きは貸し出し中の絵を参照することができないため、話の途中で登場人物の名前が変わったり、逆に同じ話が繰り返されたり、死んだはずのキャラクターが再び登場したりすることがあるからです。それらのことは、製作者、絵描き、上演者、観客の誰一人として、物語の全貌を一望できないという仕組みから必然的に生まれたもので、意識的に書き換えたものでもなければ、内容の稚拙を云々する問題でもありません。
 つまり、なるべく書物のように扱おうとして、なかなか書物のようにはいかないところで、書物とは違う街頭紙芝居の本質を知るきっかけをつかんだというわけです。一方で、そうした街頭紙芝居を1幅の絵画のように鑑賞してもあまり意味がないことはおのずと理解できるはずです。
 最もよい方法は、絵の様子や場面の展開や物語の形態がある程度わかるような写真を掲載した図版目録を作成し、閲覧や鑑賞、貸出の際に利用させることです。国際児童文学館が1991年に編集・発行した『所蔵紙芝居目録 1990』がそれで、街頭紙芝居を収蔵している機関がその図版目録を作成した例はこれが唯一です。ただし、この画期的な図版もコレクションの一部(119タイトル約3,500巻の中の23タイトル23巻分)の写真しか収録されていません。近年は画像をデジタルのデータにして、ネットやCD−ROMで検索できるようにすることが比較的容易になりましたので、今後より多くの収蔵紙芝居の図版が網羅されることが望ましいです。また、原画をそのまま使用する街頭紙芝居であってみれば、資料の保存という観点からも、図録の作成または充実が望まれます。
 ところが、国際児童文学館の街頭紙芝居が府立図書館へ移管された場合、そうした図録の充実は困難になると考えられます。なぜなら、図書館法第17条の規定「公立図書館は入館料その他図書資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」との関係で、画像を掲載した図録を作成・頒布することにはさまざまな手続き上の問題が生じると考えられるからです。
 もう一つ、図録の充実という観点から見た場合、国際児童文学館のコレクションが有利なのは、すべてが寄贈者である三邑会自らが製作し、所有していたものなので、作者すなわち著作権者の追跡が容易であるという点です。というのも、現在全国の資料館や博物館や図書館が収蔵している街頭紙芝居は、戦前から昭和30年代(1960年前後)にかけて製作し使用された後、何度も所有者が変わっていった結果、著作権者の追跡がほとんど不可能なものが大半です。それでは、図録の作成はおろか、本来なら公の利用も控えざるを得ません。
 現に、宮城県図書館が収蔵する街頭紙芝居約5,000巻(約50,000枚)は、2006年に国の登録文化財(美術工芸品)に指定された際に、従来のように自由に閲覧できなくなりました。つまり、図書としては扱われず、美術工芸品の文化財として扱われるようになりました。そこで、一般に公開するためのレプリカを作成すべく、新聞などで呼びかけて著作権者を探しましたが、判明したのはたった2名だけでした。現在、レプリカの形で一般公開されているのは、その2名の10タイトル131巻分のみのようです。
 宮城県図書館の例は、街頭紙芝居を図書館で図書として保管し、利用することの困難さによる帰結と同時に、美術工芸品として扱われることから生じる制約を示しています。国際児童文学館のコレクションのあり方はちょうどその中間的な形態といえます。以上で見てきたように、国際児童文学館の保管と運用の仕組みは、街頭紙芝居の本質に適ったものなので、街頭紙芝居を利用した様々な研究や実践のさらなる発展のためにも、ぜひ当館を存続させて下さい。
(姜 竣)