宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

昨日の「日本の大衆文化論」

 は、東京大学大学院文化資源学研究室助手の高野光平(こうの・こうへい、id:konohe)さんにおいでいただき、「テレビ史・入門−1950年代のコマーシャルを中心に」と題して、特別講義を行なっていただきました。
 高野さんは日本のテレビCMの歴史、特に初期のそれを専門に研究しておられる、日本で唯一の、と言っていいであろう若手研究者で、おそらくこれからどんどん注目を集める仕事を発表していかれることと思います。京都精華大学で進められている、CM制作会社TCJのCMフィルムのデジタル・アーカイブ化プロジェクトにも関わっておられ、今回の講義でもその研究成果を活かし、貴重な映像資料をお見せいただきながら、お話をしてくださいました。

京都精華大学のプロジェクトについて詳しくは、高野さんのブログのプロフィール
http://d.hatena.ne.jp/konohe/about
や関連エントリ
http://d.hatena.ne.jp/konohe/20060308
をご参照下さい。

 まずは、1953年に始まった日本のテレビ放送とテレビCMの歴史の、初期の様子について概説があり、当時の「CM」の枠組が、今日の我々が思っているのとは、相当にズレがあることを強調されました。そもそもスポンサーのつく番組は全体の半分くらいで、そのほとんどが一社提供、しかも生CMが多かったために、番組内部にCMが混じり込んだり溶け込んだりしていて、今と比べると「番組」と「CM」の境界線が非常に曖昧で、例えば、プロレス中継の中で、悪役レスラーが贈呈された花束をぐしゃぐしゃにして、リング状に花びらが散乱した瞬間、某家電メーカーの掃除機を持った人が現われてリング上の掃除を始め、それをアナウンサーが「○○電気の掃除機がぐんぐん吸い取っております」などと中継するという、今聞くとほとんど冗談のような「CM」が番組内部で展開していたというのです。うーん、面白い。ていうか、今またそういうのやればウケるのにと思ったり。
 また、一切動きのないスライドCMのように、膨大に存在しながら、映像作品として扱いうるものとしてのテレビCMの歴史ではほとんど触れられることのないCMにも注意を促されていました。
 その上で、今日のテレビCMのイメージにつながってくる、映像作品として扱いうるCMの初期形態について、TCJ作品をお見せいただきながら、アニメーションが多かったこと、コマーシャルソングを使ったいわゆるシンギング・コマーシャルが多かったことなどの形式面、それから、今では考えられないような、一般消費者向けでない商品(歯医者さんの治療機器など)がたくさん取り上げられていたことなどの内容面について、語ってくださいました。さらに、その内容面からは、今では存在しない商品や、今も存在するがCMにはならないような商品など、CMに表象される戦後の商品文化史ともいうべきものが見えてくることを述べられ、お話のまとめとなったのでした。
 いやー、楽しかったです。今見てもカッコいいものから、あっけにとられるような「ありえない」ものまで(エコーのかかった女性の声で商品名を連呼し続けるのに、そのコーラを手にした白人女性はアルカイックスマイルをたたえたまま最後までそのコーラを口にせず、意味不明の軽い会釈をするという、「ミッションコーラ」のCMなど)、たくさんの映像の数々それ自体、いろんなことを考えさせずにはいられないもので、1980年代生まれの学生さんたちには、よりいっそう刺激的だったのではないかと思います。
 高野さんの語りは、おだやかでユーモラス、そしてあくまでこの映像を見てほしいのだという、「黒子」的な意識と言いますか、あまり過剰に映像を「解釈」しすぎない謙虚さがあって、ああ、僕もこうありたいものだと思いました。声も美声なんですよね。うらやましいー。
 授業終了後も、先週の支那海さん同様、希望の学生さんたちを相手に、いろいろなお話を僕の研究室でなさってくださり、こちらの教員、および、ぜひにと駆けつけた九大の院生さんたちを交えた夜の懇親会でも、たくさん興味深い話をしてくださいました。一昨日まで真夏のような晴れの日が続いていた北九州は、ちょうど昨日から雨で、特に夜は大雨だったのですが、こちらとしてはほんとにお呼びしてよかったという晴れ晴れとした気持ちの一日だったのでした。高野さん、ほんとにありがとうございました!