宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

今週の比較メディア文化=メディア文化概論

 前回に引き続き、〈世界〉をつくるメディア、の2回目。前回はイントロダクション的に問題提起をしてたくさん学生さんに話してもらったので、今回はテレビドラマの「リアリティ」の多層性と、視聴者の読みの多層性についてちょっと詰め込み的に講義オンリーにしました。
 こないだの会津若松の事件の報道でも散々出てきたように、相変わらず「空想と現実の区別が・・・」云々の議論って根強いわけですが、そもそも「空想」と「現実」ってほんとに「区別」できるのかな、ていうか純粋な「空想」と純粋な「現実」のどっちかしかないみたいな二元論は変じゃないか?って話をした上で、「ウルトラマン」と「仮面ライダー」を見てもらいました。
 「ウルトラマン」は、第15話「恐怖の宇宙線」を、「仮面ライダー」は、第68話「死神博士恐怖の正体?」を、それぞれ一部分見てもらいました。
 前者は、怪獣好きの子供が土管に描いた落書きの怪獣が3次元化し、描いた当の子供たちがウルトラマン科学特捜隊ではなく怪獣を応援してしまう、というお話で、しかも科特隊の大人たちの方が微妙に頭おかしいんじゃないかと思わせる描き方をしています。後者は、死神博士とライダーの戦いという大きな山場の一つになるところなのに、唐突に、仮面ライダーのまねをして高い塀から飛び降りる子供に、そんなことしちゃいかんと1号2号が自分たちの訓練の様子を見せるシーンが出てくる回です。
 いずれも、メディア・テクストの「外部」の「現実」としての視聴者の想定外の反応をテクストの内部に繰り入れることで、「虚構」と「現実」の境界線が揺らいでますよね、前者は意図的に、後者は多分結果的に、ですけど、みたいな話をしました。
 その後、アルフレッド・シュッツの「多元的現実」の話をして、「虚構」または「空想」と「現実」との二元論はやめて、いろんなあり方、いろんなレベルの「現実」があるって考えた方が「リアル」じゃないですか、って話をして、あと『テレビジョン・ポリフォニー』所収の論文いくつかを例に挙げて、読み手もいろんなレベルでの「リアリティ」の間を行き来するような仕方でテレビドラマを見てますよね、というような話をさせてもらいました。

テレビジョン・ポリフォニー―番組・視聴者分析の試み (SEKAISHISO SEMINAR)

テレビジョン・ポリフォニー―番組・視聴者分析の試み (SEKAISHISO SEMINAR)

 

 …と、まとめるとそれなりに面白そうな気はするんですけどね。今まで毎回何か書いてもらってしゃべってもらってというのを入れた授業をしてきたので、何となく盛り上がらなかったです。やっぱり今日だけは講義をみっちり、なんてのはよろしくなかったですね。反省。終わった後に、一応次回のネタにする質問には書いて答えてもらったんですが。書いてもらってそのまま授業終了ですから。学生さんにも「疲れてましたね」とか言われるし。別に普段と比べて特に疲れてたわけではないんですが、マイク持って聞いて回る、っていうのをやらないと、いつものテンションにならなかったんですね。当たり前ですが、体の動かし方がいつもと違うとしゃべってる教師当人のあり方まで変わるんだなっていうことを実感した次第です。