宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

今週の「日本の大衆文化論」は

 先週に引き続き、馬場美佳先生による大衆文学のお話。
 前回は、「大衆文学」ができるまで、ということで、まずは京極夏彦東野圭吾の「読者サービスに終わりはない」と題された、東野の直木賞受賞記念の対談から説き起こされました。この中で彼らは口を揃えて、「作家じゃなくて小説家と言われたい」とか「僕は「文学性が高い」という言葉の意味がまったくわからない」とか「やっぱり娯楽小説ということを強く意識します」とか「小説は読者に委ねるもんなんであって、権威になっちゃいかん」といった発言を繰り返すわけですが、彼らが前提として共有する、(純)文学/(娯楽・大衆)小説という二項対立、そしてその前者の方に「権威」があり、「読者」を優先するのは後者だという認識は、いったいいつごろ成立したのか。
 というわけで、話は一気に明治へとさかのぼり、まずは日本における「文学」、先ほどの二項対立の前者に当たるものとしての「文学」の成立の現場へ向かいます。かくして坪内逍遥小説神髄』(明治18=1885年)から自然主義文学、私小説の成立にいたる流れがたどられます。田山花袋のいう「露骨なる描写」の主張は、「真相」、「自然」、「事実」の描写の重視となり、フィクションとしての面白さを支える骨格としての「スジ」や、読者をひきつける様々な仕掛けは否定されていくことになります。
 そうした流れに対抗するように形成されていったのが、明治期からの講談速記本、さらには大正期の立川文庫を経て、「大衆文学」の成立へといたる、スジを重視し、読者を面白がらせる「不自然」な出来事を多々含む物語の数々だったわけですが、その一つの画期として、直木三十五によるいわば「〈大衆文芸〉神髄」としての「大衆文芸作法」(『新文芸思想講座』昭和7=1932年)が紹介されました。

 今回は、さらに、「文学」の先端的な動きでありながら、〈私〉ではなく、〈集団〉を描き、かつまた読者として〈大衆〉を想定するプロレタリア文学が、いわば、上の二項対立のいずれにも収まらない存在として昭和初期に登場してくることに触れられ、また、戦後、今度は「中間小説」と呼ばれる、まさに両者の「中間」を行くジャンルが形成されたことにも触れられ、実は京極・東野が言うほど、純文学/大衆文学という二項対立は、厳然たるものとして変わらず存在してきたわけではないことを示唆した上で、まさに、この二項対立のどちらに位置づけられるべきか、その位置づけが揺らぎ続けてきた作品として「金色夜叉」が紹介されました。
 まずは有名な「熱海の海岸」の場面を原文の朗読によって紹介され、そこさえ知っていれば作品自体を知っているかのような気分になれる「名場面」を持つ作品、すなわち、決して「純文学的」とは言いがたい性格を持った作品としての側面に触れられます。しかしその一方、この場面でのお宮の描写には、お宮が結局何を考えているのか分からない謎めいた揺らぎがあり、これがこの作品に、単なる「娯楽小説」とも言い切れない性格を与えていることにも触れられます。
 その上で、作者尾崎紅葉の死によって未完に終わったこの作品が、その後、新派劇となり、続編が書かれ、さらにはまたさまざまな外伝や、リメイク作品を生んでいく過程で、様々な形での単純化をこうむっただけでなく、明治文学研究の進展に伴って、逆に「純文学」的な読み方がなされるようになる局面もあったことが、たどられました。このあたり、あらゆる種類の「金色夜叉」が渉猟されていて、なかなか聞き応えがありました。「歌謡曲」(今の歌謡曲とはかなり違う概念なのですが)版「新金色夜叉」を、馬場先生ご自身が朗唱するという、ある意味この授業最大のイベントが唐突に実現したりして、楽しい1時間半でした。
 いやー、ほんといい授業だわ。これ。来週はいよいよ最終回、担当4人全員によるまとめの討議とあいなります。どんなことになりますやら、乞うご期待なのであります。

金色夜叉(上) (岩波文庫)

金色夜叉(上) (岩波文庫)

金色夜叉(下) (岩波文庫)

金色夜叉(下) (岩波文庫)