宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

日本マンガ学会からの大阪府立国際児童文学館存続要望書の内容を先行公開します

 すでに何度かお伝えしてきたとおり、日本マンガ学会から、大阪府立国際児童文学館の存続を求める要望書を、大阪府知事、教育長、府議会議長に宛てて、提出します。
 要望書はすでに10日の時点で、完成しており、日付も10日になっています。
 当初は、上記の三者に宛てて、三通の要望書をそれぞれ郵送するとともに、マスコミ各社にも伝える、という手順を考えていたのですが、関係各方面と連絡を取るなかで、「育てる会」によって取りまとめられた署名など、要望書類をまとめて児童文学館の関係者から直接府庁に持参し、担当者に提出するということになっているとの情報を得ましたので、確実に届ける、という意味から、マンガ学会からの要望書も合わせて提出してもらうことになりました。
 そのことを決めた時点では、11日に改革プロジェクトチームの財政再建案が出る、という情報はなかったことや、おそらく担当者に直接手渡しするためのスケジュール調整の問題などもあり、提出日は15日から17日頃の間ということで、今もその予定は変わっていません。
 しかしながら、それに先立つ形で、再建案が出てしまった以上、せっかく10日付の要望書が出来上がっているわけでもありますので、昨日から今日にかけてマンガ学会事務局と私との検討の結果、実際の府庁への提出に先立って、マンガ学会のホームページに要望書を掲載し、学会員各位、および、より広く一般の関心を喚起していこうということになりました。
 残念ながら、決まったのが昨日土曜日の夕方で、土日は学会ホームページの更新ができないため、いささかイレギュラーな形ではありますが、先行してこのブログに要望書の全文を掲載することになりました。合わせて、すでに転載のご依頼をいただいている、ひこ・田中氏の「児童文学書評」にも転載をお願いすることになりました。いずれ近いうちに掲載されることと思います。


 ということで、以下に、要望書の全文を掲載します。ただし、ここに掲載するのはテキストファイル版であり、実際に提出される文書は縦書きになっているなど、書式が異なることをお断りしておきます。書式が保たれたものは、おそらくPDF版で学会ホームページに掲載されることになると思います。
 そのため、ここでは横書きなのに漢数字が縦書きの書式で入っているなど、若干読みにくくなっていることをご容赦ください。

大阪府立国際児童文学館の存続を求める要望書


 橋下徹大阪府知事は、大阪府財政再建のため、府立中之島図書館、および府立中央図書館を除く、大阪府立の全ての施設についてゼロベースで検証を行い、六月中に存廃の結論を出すとの方針を表明されています。
 今回見直しの対象とされている施設は、いずれも、府民の意思を代表する府議会等で、慎重な議論を経て設立が決定されたものです。その廃止を含めた抜本的な見直しには、それ相応の慎重さが求められるはずですが、今回の検証プロセスはあまりに性急なものと言わざるを得ず、府民の文化的な生活の保持にとって取り返しのつかない損失を招くおそれもあります。
 こうした見直しに対して、博物館施設については、「大阪府の博物館施設を支援する会」から、府の運営責任に基づく事業の継続、および、見直しに際して有識者および利用者の意見を重視することを求める要望書が提出されております。上方演芸資料館についても、同様の存続を求める運動が展開されています。
 これらの運動は、いずれも、府の財政再建のための知事の試みや意欲そのものを否定するものではなく、むしろ大阪府の活力をいかに維持し、また回復させるかという意識のもとに、より広い視野から、文化的な施設が地域社会の中で持つ重要性を冷静にご判断いただきたいという趣旨のもとに展開されているものと言えます。日本マンガ学会が、大阪府立国際児童文学館の存続を求める要望書をここに提出するのも、同じ見地からです(なお、大阪府立国際児童文学館の運営は、指定管理者として大阪府から委託を受けた財団法人大阪国際児童文学館によって行われていますが、以下、議論が煩雑になるのを避けるために、施設としての府立国際児童文学館と、その運営を受託している組織としての財団法人を一体として「国際児童文学館」、または「児童文学館」と表記することとします)。


 橋下知事は、三月二〇日に府立国際児童文学館への視察を行い、府立中之島図書館、または中央図書館への統合を示唆したと報道されています。その視察の際、知事は、「児童文学を子どもに広める機能は必要」だが、「通常の図書館となぜ分離しているのかわからない」、「府の中心部に置いたほうが利便性も高い」等と述べたとされています。
 しかしながら、児童文学館が実践し、成果を上げている「児童文学を子どもに広める」活動には、日産と館の共催で行われている「ニッサン童話と絵本のグランプリ」のような創作活動の支援や、「国際グリム賞」のような児童文学の研究・評論活動の支援、さらには館のホームページにある「本の海大冒険」や大阪モノレールとの共同企画である「おはなしモノレール」のように、子どもの読書活動支援の新しい形を開発する活動までが含まれています。
 これらは、高度に専門的な知識を備えた意欲的な研究員(専門員)を中心とするスタッフの緊密な連携によって初めて可能になるものであり、通常の図書館、および図書館司書が担いうる活動の域を越えています。
 もちろん、今日の公立図書館が、従前よりはるかに多岐にわたるサービスを提供していることは言うまでもありません。しかしながら、図書館の児童サービス部門が担いうるのは、基本的に子どもの読書活動の支援までであり、創作・研究・読書支援までを一体的に行う「子どもの本の資料・情報・研究センター」としての児童文学館と図書館では、知事の言う「児童文学を子どもに広める機能」への貢献の仕方が、はっきり違うのです。
 そして、重要なのは、今日、府立の施設に求められている運営の効率性においても、比較的少数のスタッフが、緊密に連携を取りながら事業を運営する、現行の児童文学館のコンパクトな組織は、他に代え難い優れたものと考えられるという点です。児童文学館よりはるかに大きな組織の府立図書館へと施設が統合された場合、財団とそのスタッフが持つ組織力は失われてしまう恐れが高く、国際的に高い評価を得ている、大阪府が誇るべきこの児童文学館の機能は、維持することが極めて困難になると考えられるのです。


 次に、ほかならぬ日本マンガ学会が、国際児童文学館の存続を要望する、極めて重要な理由について述べます。
 国際児童文学館は、先にもふれた通り、「児童文学」に限らず、マンガも含む子ども向けの出版物全般、そしてそれらについての研究に役立つ関連資料、さらには、手描きの街頭紙芝居に至るまで、児童文化全般に関わる総合的な「資料・情報・研究センター」としての性格を持っており、所蔵資料の中には、大量のマンガ本・マンガ雑誌、および関連資料も含まれています。
 国際児童文学館は、その名称から、主に海外の児童文学書や絵本などを持っているところ、とイメージされることも多いようですが、実際には、明治以来、日本で子ども向けに出版された雑誌や本は、原則として何でも所蔵する、というのがその基本方針となっています。「児童」の範囲も広く、未成年の読者を想定したものはすべて対象とされています。
 ある時点の大人の目から見て、「文学的」、「芸術的」に価値の高いものだけを集めるのではなく、現に子ども向けに出され、子どもに読まれていたものは、大衆的なものでも、「俗悪」とみなされていたものでも、とにかくすべて所蔵の対象とするというこの方針によって、児童文学も、絵本も、マンガも、子ども向けの出版物は同時並行的に閲覧できるという、おそらく世界的に見ても極めてユニークな特色が出来上がっています。
 その結果、現在では七〇万点を越える資料群は、児童文学の研究にとってのみならず、マンガの研究にとっても、多大な貢献をなしうるものとなっています。実際、日本マンガ学会の研究大会においても、児童文学館の資料を活用することによって新たな知見をもたらすものが、毎年数件発表されるようになっています。


 マンガ・アニメ・ゲームは、今日、世界各国から、日本を代表する文化として注目を集めるようになっており、また、きわめて有力な輸出産業ともなっています。これらのコンテンツ・ビジネスの核となるマンガが、どのようにして発展してきたのかを解明する上で、マンガ史の研究は欠くことのできないものです。
 そもそもマンガは、おおむね昭和三〇年代までは、総合的な娯楽・情報雑誌としての少年少女雑誌の中で、活字の読み物と共存していました。やがてそれらの中でのマンガの比重が高まって、今日、単に「マンガ雑誌」とみなされている多くの雑誌のあり方が形成されてきたわけですが、そうした発展のプロセスを検証する上で、明治期以降、現在に至るまでのありとあらゆる種類の子ども向けの雑誌を継続的に所蔵している児童文学館の資料群は、国内随一のものであり、国立国会図書館国際子ども図書館でもできない研究ができる場となっています。
 また、こうした少年少女雑誌のみならず、児童文学館には、やはり、全国の類似施設にはほとんどない、戦前・戦中から戦後すぐの時期にかけての子ども向け物語漫画の単行本、特に当時は「俗悪」なものとみなされた「赤本マンガ」が多数収められています。
 これら、いわゆる「赤本マンガ」が、東京に匹敵する勢いで出版されていたのは、ほかならぬ大阪であり、手塚治虫もまた、この大阪の赤本マンガの世界で頭角を現し、次々に初期の傑作を発表したことは、マンガ史の常識に属します。日本のマンガの発展のルーツの一つは大阪にあったとも言えるのであり、同時に、赤本マンガは、大阪の出版文化、児童文化の活気の象徴とも言えるものです。こうした貴重な資料群を有する施設を、大阪府が運営していることには非常に大きな意義があると言えるでしょう。


 一昨年京都に開館した京都国際マンガミュージアムは、開館から五カ月で十万人の来館者数を記録し、国内のみならず海外からも多くの観客が訪れ、新たな観光スポットとして活気ある施設となり、地域住民にも愛されています。
 その京都国際マンガミュージアムをはじめ、川崎市市民ミュージアムなど、全国のマンガ関連ミュージアムで行われている展覧会の多くに、児童文学館は所蔵資料を貸し出しています。所蔵資料の質量において、児童文学館が有するマンガ関連資料は、全国各地のマンガ関連ミュージアムのどこよりも充実したものであり、近年では、児童文学館自体マンガ・アニメ関連の展示や講演会、上映会などを実施し、成果を上げてもいます。京都国際マンガミュージアムの場合、館の企画・運営においても、児童文学館の今までの活動を大いに参考にしています。
 このように、児童文学館は、実は、すでに日本のマンガ研究にとって必要不可欠のインフラとなっているだけでなく、京都の例を見てもわかるように、これからの企画、および広報活動によっては、日本有数の、ということは世界でも有数の、マンガを含む総合児童文化アーカイブとして大阪が誇ることのできるユニークな性格を国内外にアピールし、地域の活性化にも今まで以上に貢献しうるポテンシャルを有しています。
 こうした資料群、特に赤本マンガや娯楽的な少年少女雑誌は、一般的な書籍に比べて紙質や製本の状態が悪いことが多く、保存・閲覧・複写にあたって慎重な取り扱いが必要なケースがほとんどです。記録すべき書誌情報も、一般的な図書館のそれとは内容を異にする部分があります。
 一般に書籍・雑誌資料の取り扱いには、保存を優先すれば閲覧・複写を制限せざるを得ず、利用者への閲覧・複写サービスを優先すれば資料の汚損・損傷の危険が高まるというジレンマがつきものであり、所蔵資料の特性に通じた専門員を中心とする児童文学館のスタッフであればこそ、いささか特殊な扱いを要する大量の資料群を、このジレンマの中でバランス良く活用することが可能になっていると言えます。こうした理由から、資料がどこかに残ればいいという発想で、これらの資料群を安易に府立図書館の資料に統合することは避けるべきだと考えられるのです。


 ここで、いくつか具体的に、児童文学館が特に誇るべきマンガ関連資料を挙げておくと、昭和一〇年代に刊行された『講談社の絵本』がほぼ全巻揃いで、極めて良好な状態で所蔵されていることがまず挙げられます。これについてはすでに昨年の児童文学館での展覧会「再発見!『講談社の絵本』の漫画世界」でも紹介されていますが、いわばマンガ史のミッシングリンクを埋めるものとさえ言える重要な資料群であり、児童文学館の今までの活動実績に対する信頼のゆえに、講談社の社友会から寄贈されたものです。
 小学館の『小学一年生』から『小学六年生』までの学年誌も、戦前戦中の刊行分の所蔵数において、児童文学館は全国でもずば抜けた充実ぶりです。
 それから先ほどふれた戦前・戦中・戦後の赤本マンガについては、一点一点というより、その量自体に、当時の状況を包括的に研究する上での価値があると言えますし、手塚治虫出世作として知られる『新宝島』の共作者で、近年注目の集まっている酒井七馬の作品なども含まれています。酒井七馬については、別名義で制作した街頭紙芝居作品が多数所蔵されているのも、きわめて貴重です。
 戦後については、『少年マガジン』、『少年サンデー』、『なかよし』、『りぼん』、『コロコロコミック』をはじめとする主な少年少女雑誌が現在に至るまでほとんど欠号なく所蔵されていることも、関西圏の研究者にとって極めて有益なものとなっています。
 また昭和三〇年代前半の月刊少年少女雑誌の別冊付録マンガが数多く所蔵されているのも特徴です。当時、人気作は雑誌本体ではなく別冊付録に毎月数十頁単位で掲載されていることが多かったのですが、国会図書館では別冊付録は保存の対象とされていなかったため、雑誌本体はあっても肝心の人気作は閲覧できないケースがほとんどです。現在の国際子ども図書館には、のちにコレクターから寄贈を受けた別冊付録コレクションが存在しますが、網羅的なものではありません。手塚治虫のSF連作「ライオンブックス」シリーズや、『少女クラブ』誌連載のちばてつやの初期の傑作群など、児童文学館の別冊付録は類似の公的機関にはどこにも存在しないものの多い、貴重なものになっています。


 以上に述べてきたように、児童文学館は、単に「児童文学」を専門とする図書館ではなく、創作・研究の支援から、国内最高水準のマンガ・アーカイブとしての機能までを含む、極めてユニークな多面性を持つ施設です。その活動は、現行の施設と組織あってのものであり、府立図書館への統合は、取り返しのつかない損失をもたらすと考えられます。建物ばかりが立派ないわゆる「ハコモノ」ではなく、血の通った組織によって支えられる、かけがえのない「場」なのです。
 橋下知事は、知事選挙の際に掲げた一七の重点事業を導き出す基本政策として、「4つのトライ」を表明されています。そこには「社会を元気にする源は、子どもたちの笑顔です。だから、「子どもたちが笑う」ことに大阪府の資源を集中し、これに多くの投資を行います。」と明記されています。この考え方に即せば、児童文学館は、統廃合どころか、むしろ改めて強化の対象となってもよいはずです。その強化によって、児童文学館が、大阪の誇りとして、大阪の活性化にどのような貢献をなしうる可能性を持っているかは、すでに述べてきたとおりです。
 館のホームページに記載されている通り、児童文学館は、すでに二〇〇一年に太田前知事が打ち出した「大阪府行財政計画(案)」による見直し以降、厳格な外部評価を受けつつ、そのランニング・コストに見合うだけの成果を上げる努力と工夫を積み重ねてきています。これをさらに見直し、府立図書館に統合した時、上に述べてきた潜在能力も含めた館の機能の大半は失われることになります。その損失は、果たしてそれによって削減できる金額に見合うものであるのか、冷静にご判断をいただきたいと思います。
 子どもたちに、世界の広さを教え、血沸き肉躍る興奮を伝え、静かに人の心の深さを考える時間を与える、多種多様な「読み物」には、「子どもたちが笑う」社会を作るヒントが無数に秘められています。赤本マンガや街頭紙芝居や少年少女雑誌には、大阪が、日本が元気だった時代の秘密を解くカギがあります。今もなお出版されている膨大な子ども向け出版物は、未来の大人たちにかつての子どもたちの置かれていた環境を伝えるタイムカプセルとなります。
 児童文学・絵本・マンガを、同列に、連携させながら有効活用していくことのできる児童文学館は、この施設をより広く、府民に、そして国内外の人々に向かって、開かれた場にしていく可能性を有しています。日本マンガ学会は、資料収集保存委員会、および関西交流部会を中心に、児童文学館のさらなる有効利用と、大阪府内外へのアピールや、地域貢献の新たなあり方の模索への、協力を惜しみません。
 かつて子どもであった大人たちにとっては、日本と大阪の戦後の一側面を象徴すると言ってよい太陽の塔を眺めながら、「鉄腕アトム」の掲載された『少年』を読む、といった理想的な時間を与えてくれる環境であり、かつまた、万博公園にやってきた子どもたちとその家族にとっては、公園で遊んで疲れたら、夏は涼しく冬は暖かいこども室で本を読むことのできるやさしい空間でもある児童文学館は、今ある場所でこそ、その可能性を最大限に発揮しうる施設であり、今ある組織の形を核にしながら、これからもなお成長していくことのできる施設であると考えられます。


 以上に述べてきた理由から、当学会は、大阪府立国際児童文学館について、その施設・組織の府立図書館等への統廃合に反対し、以下の点を要望します。



一、大阪府立国際児童文学館を、子どもたちが笑い、社会が元気になるための、大阪独自の試みの発信基地として、原則として現行の形で存続させ、さらに発展させていくこと。


二、運営方法の見直しは、すでに行われている外部評価を尊重し、利用者、有識者教育委員会、現場の職員等の意見も幅広く参考にしながら、拙速に陥らないよう慎重に行うこと。
             二〇〇八年四月一〇日


大阪府知事    橋 下  徹  殿
大阪府教育長   綛 山 哲 夫 殿
大阪府議会議長  岩 見 星 光 殿


日本マンガ学会


呉 智英 (会長、評論家)
長谷邦夫 (理事、マンガ家)
小野耕世 (理事、評論家)
内記稔夫 (理事、現代マンガ図書館館長)
村上知彦 (理事、評論家)
茨木正治 (理事、東京情報大学教授)
細萱 敦 (理事、東京工芸大学准教授)
藤本由香里(理事、明治大学准教授)
秋田孝宏 (理事、漫画研究家)
大城房美 (理事、筑紫女学園大学准教授)
吉村和真 (理事、京都精華大学准教授)
宮本大人 (理事、北九州市立大学准教授)


 内容的に、昨日のエントリでご紹介した、府のプロジェクトチームによる資料に見られる分析の中で把握されていない、館の資料と機能の特色と、それを支える財団の組織力については、かなりきちんと論じられているのではないかと自負します。
 これをたたき台に、さらに有意義な議論がこのあと、知事も関わる形で展開されていくことを、切に願います。