宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

浦沢直樹インタビューのこと

さて、昨日に引き続き、「ユリイカ」の話です。
座談会に続くのは、「浦沢直樹、マンガを語る」ですが、こちらは14時に始めて17時にテープを止めるまで、語っていただいたことをほとんどそのまま使っています。ちょうど4万字にのぼる、現時点では質量ともに最高の浦沢インタビューになったと思います。
こういうインタビューが実際に活字になるまでのプロセスって、意外と知られてないんじゃないかと思うので(ま、実際色んな形態があるとは思うんですが)、ちょっと記しておきますと、まず、インタビューを録音したテープを、文字に起こす作業があります。これはかなり過酷な労働で、インタビューを多く掲載する雑誌の場合、編集部がテープ起こしのアルバイトさんにテープ起こしを頼みます。今回は、「トランスクリプション」としてクレジットされている前島賢さんがその作業をしてくれています。単調労働ですが、ある程度内容についての理解がある人でないと、固有名詞や専門用語などが、ほとんど「???」みたいな空欄のままの起こしになってしまいます。その点、前島さんはかなりきっちりした仕事をしてくれました。この時点で字数は4万字、原稿用紙100枚相当に達しています。担当Yさんからはこれを70枚=2万8千字程度にできないかという注文がありました。
えええーーっつ、な、ななじゅうまいすか!?と思いながら、その起こしに、僕がテープを聞きながら手を入れて行きます。今回は3台のテレコ(orICレコーダー)を回したんですが、前島さんが使った音源と僕のとこに回してもらったものは違ったらしく、僕のほうのテープで全く音声が拾えていないくだりを前島さんはきちんと起こしてくれてたり、逆にこちらのテープでははっきり聞こえる、それなりに重要なくだりが全然起こされてなかったりということが結構あったので、まずそうした部分を手直しします。さらに、口頭で目の前に相手がいる状況で話していますから、そのまま文字化したのでは読者には文意が伝わりにくいような部分も、最低限の手直しで文意が通じるように工夫します。
また、今回は浦沢さんのマンガ体験・音楽体験を語ってもらっていますから、作品名・作家名など固有名詞がたくさん出てきます。前島さんはかなりちゃんと起こしてくれていましたが、それでもミスもありますからそれを直し、さらに会話の中で作品名しか挙がっていないものについては作家名を補うことにします。ここは本来なら、初出誌や連載開始年と終了年といったデータも補いたい。さらにはその作品のちょうどいい図版も入れたいわけですが、今回は時間と字数(誌面)に厳しい制限があったのであきらめます。作品名と作家名がはっきりしていれば、その他のデータはインターネットを使えば検索できる程度には有名な作品ばかりだったので、興味をもたれた方には自力で調べていただこうということにさせてもらいました。
こうして一応完全版と言っていいものが出来上がります。この時点で計7、8時間ほど経過し、字数は120枚にまで膨らんでいます(笑)。これを今度は削っていくわけですが、僕としては浦沢さんの発言は一切切りたくないし、「うーん」というような言いよどみも、それが重要な意味をもつ場合はそのまま残したい。そこでどうするかというと、結局僕の質問を要約しまくるわけですね。それから、どう考えてもここはオフレコだろ、というようなとこも落としますが、そういう部分はほとんどなかったので、非常に苦労して、また7、8時間かけてなんとか100枚にまで戻しました。が、ここでギブアップ。ちょうど風邪を引いてる中、高麗人参エキスやら葛根湯やらを投入しまくって徹夜でやってたこともあり、しかもこの時点でまだ「NANA」論には全く手をつけてなかったので(笑)、担当Yさんには、「100枚が限界ですよ、浦沢直樹4万字インタビュー!すごいじゃないっすか、売れますよ、ユリイカ!」などとすがりつき、4万字全文掲載にこぎつけました。
しかし、まだ作業は終わりません。今度はこの原稿を浦沢さんに送り、目を通してもらいます。浦沢さんのとこに送ってから戻してもらうまで、3、4日しか余裕はなかったはずです。普段の仕事だけでもお忙しいだろうに、大変だなと思ってたんですが、きっちり期限通りに戻してくれたようです。で、浦沢さんの校正が反映されたゲラが僕のところにFAXされてきたわけですが、発言を丸ごと切るようなことは全くなく、一箇所だけ、進行中の企画にまつわる裏話をネタ振りにした発言を(これは落とさざるを得ないだろうとは思ってたのですが、そのネタ振りを切ると後の発言の意味が通らなくなるので、残しておいたのです)削除し、単に削除するのではなく、きちんと別の一般的な言い方に直して文章が通るようにしてくれていました。誌面で言うとほんの4行の部分を削って2行に直してくれているという、きめの細かい作業です。ほかには削るどころか、例として挙がっている作品名を一つから二つに増やしてくれているところがいくつかあったり、微妙な語尾の修正がなされていたり、とにかく隅々まできちんと見てくれてるんですね。最後に出てくる話題で、元の発言では単に「ルパン三世」だったのを、「初期の『ルパン三世』」と、「初期の」が補足されてるのを見たときは、ちょっと笑ってしまいました。浦沢直樹、すごすぎ。
とまあ、なるほどこの完璧主義が浦沢さんの仕事を支えてるんだなと感心しつつ、ほんのわずかに残っていた誤字を校正し、浦沢さんの作品から、入れるべき図版と場所を指定してゲラを戻し、ここでようやく僕の責任部分は終了、ということになります。大変でしょ?質問考えて話聞いて来たら終わりじゃないんですよ。これを、大学の仕事は一応一切サボらずに、やってるんすから。ま、世の中の仕事のできる大学教員のみなさんは、この程度のことはやすやすとやってるんでしょうけど、僕にはこの辺が限界でした。ともあれ、おかげさまでほんとにいいインタビューを残すことができました。
おっと、ちょっと長すぎですね。こんなん言われなくても分かってるよって人も、はてな界隈には多そうですし。でも、雑誌の仕事などに興味はあるけど、実際の作業の大変さについては全然知らない学生さんなんかには、参考になるかもと思い、ちょっと丁寧に書いてみました。
内容についてはほとんどフォローすべき点はないと思いますが、特に僕には「SFが描ける絵」の話がほんとに面白かったです。あと、やっぱり、最後の最後に「根っこで繋がってない関係」の話が出てきたときは、「決まった」と思いました(笑)。ちょっと感動的ですらありました。
あ、僕の発言で一箇所、ちょっといかがなものかと思われるのがありますね。105頁の、プロデューサー体質とマンガ家体質の二面性の話の中で、僕が「手塚先生にはそれはないですよね」と言ってしまってるとこです。浦沢さんは、「でも、あの人もそういう匂いは感じるけどね。何か変な使命を自分に課してしまってるところがある。」とおっしゃっていて、それはその通りなんですね。手塚治虫にもプロデューサーとしての側面とマンガ家としての側面があるのは確かで、自分をどう見せるかについてもかなり戦略的に動いている。ただ、これはまだ仮説でしかないんですが、多分、浦沢さんと違うのは、プロデューサーとしての手塚治虫も、やっぱり「天然」だったろうと思うんですね。浦沢さんはそこのとこは違ってて、マンガ家浦沢は天然だとしてもプロデューサー浦沢は天然じゃないだろうなという気がするんです。その違いが言いたかったわけです。ここは、説明不足だったかもしれないので、補足しておきます。
てことで、そろそろ新年会の鍋の支度をしなければいけないので、今日はこの辺で!