宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

出てましたね。

 ミュージアムの運営費負担の問題とかにも踏み込んで、提灯記事にせず、実態をきちんと押えようという意欲の見える取材ぶりで、よかったのではないでしょうか。
 「マンガ研究を進めさせている力」は何か、という点について中野晴行さんの「研究が盛んになったのは(マンガ市場の)膨張が止まったから」という意見が紹介されていますが、これが、在野のマンガ評論まで含めた話ではなく、大学におけるマンガ研究の話だとすれば、マンガ市場の膨張が止まったことと直接の関係は多分ないと思います。単に戦後マンガとともに育ってきた団塊の世代が学部長や学会長をやる年代になってきて、マンガ研究なんかけしからんと頭ごなしに言う人が大学や学会の中にいなくなってきていることとと、そうした世代の人々が大学淘汰時代の生き残り戦略を考えるときに簡単に思いうかぶテーマの一つがマンガだということの方が、大きな要因だと思います。仮にいまだにマンガ市場が膨張を続けていても、大学でのマンガ研究の「解禁」が今より遅れることはなかったんじゃないかと思います。
 現に僕が大学院でマンガの研究をしたいと言っても誰にも止められなかった1993年当時、マンガ市場はまだ膨張を続けていたわけで、瓜生吉則吉村和真といった僕と同年代の研究者が、まだお互いのことを知らぬまま、マンガをテーマにした修士論文を書いていたのは、マンガ市場の膨張がその頂点に達した1995年頃のことでした。
 研究が盛んになるのはそのジャンルがもう終わってる証拠、みたいなことは映画や芸能など、大衆文化の研究についてよく言われることですが、単に、一つのジャンルについて多くの人々が研究したくなるだけの豊かな蓄積が出来、研究のための障害が少なくなって環境が整うまでには50年くらいかかることが多くて、そうするとその頃には次の新しいメディアが出てきているという、娯楽メディアの交代のサイクルと研究が盛んになり始める時期が一致するだけの話であって、因果関係として捉えるのは違うんじゃないかと思います。
 それと「市場の膨張」が止まっても、新たなマンガ作品は相変わらず膨大に生まれ続けているわけですから、この世界に蓄積されているマンガ作品の総量はいまだに膨張を続けているわけで、少なくとも僕が評論系の仕事をするときにはその生々しいありようからの刺激に、どう応答していくかという意識でやっているのであって、別に研究対象の生き物が死にかけて動きが鈍くなった分、観察がしやすくなったから研究しているわけではありません。むしろ総体としてのマンガは、今ほど得体の知れない巨大で観察困難な怪物として我々の前にいたことはないと思っています。この点ははっきり申し上げておきたいと思います。
 また、記事中、「市場の停滞と共に、マンガを日本固有のものとして位置づける言説が目立つ」とあって、これも読みようにとっては市場が停滞したからそういう言説が目立つようになったともとれますが、これも直接にはつながっていなくて、その種の言説は、まさに「漫画」というジャンルが新たに立ち上がってきた明治の後半の時期以来存在しているわけです。ただ、昨今のソフトパワー論を背景にしたコンテンツビジネス振興政策の中で、こうした「創出された伝統」が大義名分として求められがちな文脈はあり、コンテンツビジネス振興政策に業界が反発しないのは国内市場が飽和状態にあって海外市場を視野に入れざるを得ないからだと考えれば、これは、全くつながらない話でもないかなとも思います。
 とまあ、つらつらといちゃもんのようなことを書きましたが、全体に限られた字数の中での新聞記事としては、非常に誠実に作られているものと言ってよいのではないでしょうか。
 しかし、それにしても僕の写真、かなり悪いこと考えてそうですね。

*追記
 吉村さんの修士論文はマンガがテーマじゃなかったかも。でも博士課程に入ってからはマンガ研究メインだったのは確か。瓜生さんも、確か修士論文は「熱血」の系譜を論じる中で『少年マガジン』と梶原一騎が大きな位置を占める、というもので、純粋にマンガ論かというとちょっと違いますね。でもまあ、総じて、90年代前半から半ばにかけての時期に、マンガも含めて大衆文化やサブカルチャーを扱うことにまつわる障壁がぐんと低くなったのは確かで、その時点で団塊の世代が40代後半になって大学での発言力が強くなってきてたのは大きかったんじゃないかと。
 もちろん、僕も瓜生さんも吉村さんも、別に障壁があったからってやめたりするタイプじゃないですけど。

*さらに追記
 今日たまたま別件で吉村さんと電話したんですけど、修論も卒論もマンガがテーマだったそうです。