宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

やっぱり無理でした

 こんばんは。狼少年のミヤモトです。10日で200枚書かないといけなかったんですが、65枚しか書けませんでした。大体、今、8日の日記を見て思ったんですが、8日から16日でなぜ10日なのか。そんな計算もできない状態だったのか。初めからあきらめていたわけではなく、どんどん書けてる自分をイメージして、未完成の章を3日ずつくらいで片付けていくつもりでやってたんですが、それって、夏休み中これのことばっか考えて乗りに乗って来た状態の10日間とかのイメージなんですよね。でも実際は1年中慣れない柔道ばっかしてたあとに、いきなりマラソンコースに復帰したようなもので、あと5キロと言われても足がもつれてもつれてどうしようもない、という感じだったのでした。指導教官はぎりぎり20日まで待ってもいいと言ってくれたんですが、20日は共同通信の連載のコラムの締め切りでもあるので、やはりせいぜい18日までしかやれないし、残り2日間で130枚は到底無理ということで、お詫びのメールを出して、課程博士での学位取得をあきらめました。
 淡々と軽いタッチで書いてますけど、もうほとんど絶望的、でも、だんだん書く調子は戻ってきたっていう3日前くらいは、もうほんとに悔しかったです。夜中に研究室で膨大なメモや資料やエクセルに入力したデータなどを見ながら、これを俺はどうまとめようとしてたのか、必死で組み立てなおしていると、メモを書いた日、資料のコピーを集めた日、あの図書館やあの資料館で書誌を取ってた日、あの先生にどきどきしながらお話をうかがった日のことがよみがえってきて、あの時のオレ、ごめん、て気持ちになるし、うまく書けなくなって行き詰まってくると、この10年間に自分が繰り返してきた判断ミスの数々が思い出されてくるしで、パソコンに向かったままじわじわ泣けてきたりして、なんだか大変でした。
 結局、自分に自信がないのに承認願望が強いために、ほんとのところ誰の期待にどう応えるべきかは分かっていながら、目の前にやってきて俺じゃなくてもできるようなことを頼む人の期待にも応えようとしてしまう、っていうのが最大の問題で、そこに加えていつもいつも自分の能力を高く見積もってしまうくせが重なって、事ここにいたってしまったわけです。結局、基本的に全部自分が悪い。なのに節目節目の大きな判断ミスを言い訳にして、そんなの予想できなかったよと、自分は悪くないと思い込もうとして、逃げ続けてきてしまったんですね。別にこの1年のことだけが問題じゃなく10年間ずっとそうだったんです。なんでもっと気を遣ってくれないんだとかなんでそんな仕事振ってくるんだとか、ついついそういうことを思って、集中できないとかまとまった時間が取れないから書けないとか。甘えてたんですよ。甘い。ほんとに甘い。もう、今やっと気付いたかってくらい甘い。断わりゃいいんだ断わりゃ。馬鹿か。
 というような自問自答を繰り返しながら、昼間は、それこそ自分がやらなきゃ回らないような仕事をバシバシこなしつつ、この8日間必死で書いていたわけですが、おかげで、ちょっと感覚が戻ってきたんですね。昼ストレスフルな仕事をしながらも、ゼミ生たちが卒論集を一生懸命作っているのを眺めながらも、子供を風呂に入れて寝かしつけながらも、睡眠3,4時間でも夜の数時間である程度書ける、というペースがつかめてきたんです。今ごろ遅いんですけど。で、なら、このまま春休みの残りも書き続ければ、ある程度の目処が立って、新学期に入っても少しずつなら書き続けられるかなと。大学の仕事と児童文学学会やマンガ学会の仕事は減ることはないんですが、今年度より増えることもないので、もうペースは分かる。もう論文博士にしかならないけど、とにかくできるだけ早く、最低限納得のいくものを書き上げて出そう、という気持ちになってきたんですね。自分にとって何より大事な仕事の一つなのに期限を気にしながらやらなきゃいけないというプレッシャーがなくなるのも、考えようによってはむしろ淡々と書けるようにしてくれるかもしれない。
 ということで、8日のエントリ以来、あるいはもちろんそれ以前から、色んな形で応援してくださってきた皆さん、本当に申し訳ありませんでした。こういう結果になりましたことを、とりあえず、ご報告いたします。