宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

今日の寝る前の本

 今日は次男が学校で借りてきたこちらを。

 典型的な次男が引っ掛かるパターン(笑)。かわいいきつねがぶどうを取ったり取ろうとしたり食べたりして、何かかわいいたのしい話が展開するんだと思ったんでしょうけど、いもとようこで原作・坪田譲治ですからね。
 案の定、こぎつねのためにぶどうを取りに行ったおかあさんぎつねとこぎつねが、生き別れになって、おかあさんの残したぶどうが、やがて木になって、大きくなったこぎつねがそのぶどうを食べておかあさんのことを思い出すっていう、自己犠牲って美しい、母子の分かれって泣ける、的なお話。
 次男もあれれ?みたいな感じだったんですけど、間の悪いことにそこに三男がやってきて、それ自分も読みたーいってなったので、結構文章長いのに、そして絵だけではストーリー理解しづらいのに、また最初から読むことに。
 長男もやってきて後ろでニヤニヤしながら、あー、なんかかわいいきつねのかわいいお話だと思っちゃったんだーって言ってる中、三男は何これどういうお話?的な心配な表情で一生懸命聞いていましたが、やはりよくわからなかったらしく、もう一回読んでと言い出します。仕方なく、もう少し話を丸めて、さくっと通したんですが、どういう風に受け止めたのやら。
 ま、ほんとある時代の典型的な児童文学というか、実際の動物や植物の生態には即さない形で(ははぎつねが山をいくつも越えてぶどう一房取りに行くとか、落っことしたぶどうから生えた木が、こぎつねがまだこぎつねの間にたくさんのぶどうをならせるまで育ってるとか)、擬人化された動物を、美談の、悲しい部分を生々しくしないためにだけ使う、みたいな話のつくりは、さすがにもう賞味期限が切れてるんじゃないかなと思います。
 好きな人がいるのは分かりますから、学校図書館から排除しろとは思いませんし、子供が自分で借りてきてるわけですから、読んでくれと言われたら、特にバイアスかけずに普通に読みます。小1なら、自分でどう感じるかも、当然当人の自由です。感想求められれば答えますけど。ただ、三男にはこちらから与える気はない種類のものなので、今日はちょっとあちゃーって感じでした。