宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

マンガ学会は充実してました、よ?

 そんなわけで、21・22日、松山でマンガ学会の大会だったわけですが。学生会員のための奨学金を利用させていただいたゼミ生10人と一緒に、小倉―松山間のフェリーに乗って、行って来ました。往復ともに21時55分に出て朝5時に着くということで、金曜の夜出て、土曜の朝着いて、道後温泉以外どこも空いてないので自動的に道後温泉で朝風呂→なんだか素敵なパン屋さんでパン買って朝飯→ぎやまんガラスミュージアム行って学生たちが見学してる間僕はカフェで最後の悪あがき的にシンポの準備→僕だけ先出て会場入り、ってな具合でした。
 帰りは帰りで、朝5時に小倉に着いて、駅前で朝マック、研究室戻ってちょっと仮眠、2時限に4年ゼミやって、7時限に大学院の授業やって、火曜は朝から必死で準備してやっと間に合わせる公開講座、水曜は山積した雑務をなんとかし、木曜は2・4・7時限と授業で半死半生になり、2週間ぶりくらいに6時間寝てちょっとだけ復活して今日また雑務、みたいな。


 で、明日の西日本新聞に、連載コラム「マンガは生きている」、載ります。もちろんマンガ学会のレポートです。


 いやー、でも、ほんとめちゃくちゃきつい中、がんばった甲斐があった。今年の大会って、マンガ学会史上、一番充実してたんじゃね?
 って思って、体はへろへろながら気分は結構爽快で、フェリーが思った以上に楽しくてテンション上がったのもあって、また今日から頑張ろうと思った月曜日、インターネットを見たら、漫棚通信さんのとこに、おそらく最速で出た感想が。僕が司会させてもらったシンポ第一部「手塚のルーツ/ルーツとしての手塚」についてはこんなふうに述べられてます。

 個々の話はおもしろかったのですが、パネリストの興味の方向が統一されておらず、やや散漫な印象になりました。「ユリイカ」2008年6月号で宮本大人が、竹内オサムがとなえる手塚の同一化技法、これをいつまで同じことばっかし言うてんねん、と批判してたのですが、これに対する竹内の反論がありました。残念ながら議論としてはかみあわず。


http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_095d.html


 ごいーん。続けて夏目さんも。

10時から宮本大人氏司会で竹内オサム氏、中野晴行氏とシンポ「手塚治虫 再考」。まずまず、何とかまとまったかな、というデキ。そもそも、この時間で、このメンツで、まとまる話にするのは難しかろう。そのわりに面白かった。とくに中野さんのレアな写真攻勢、竹内さんの修士論文の頃の図版や、中野さんが持ってきた竹内さんのマンガなど、学会というより、フツーのトークとして面白くなっていたかも。僕は何一つ準備できなかったが、会場はそれなりに面白がっていたように感じたので、まあいいかな(よかないか)。


http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2008/06/post-bbde.html


 なんか、お二人の感想を総合すると、基本、みんなめいめい勝手にしゃべってて、まあ70点くらいの面白さだった、みたいな感じになってますが。てか司会機能せずかよ、みたいな。
 でも、僕自身は、めちゃめちゃ充実したシンポで、2時間半、休憩もないのにみなさんダレずに聞いてもらえて、ほんとよかった、って思ってたんですよ(笑)。終わった直後にすっごい面白かったって言いに来てくれた人も何人かいましたし。この認識・反応のズレはどこから来たのか。ちょっと言い訳させてもらいます。


 このシンポ第1部については、5月末に全体の流れと趣旨を記した構成案を参加者のみなさんにお送りして、ご意見ご要望をお伺いして、みなさんご異論もなくお引き受けいただいていました。
 僕自身は前日か当日、簡単な口頭での直前の打ち合わせをするつもりで、そのことも構成案には記していたんですが、竹内オサムさんが前日の夕方「打ち合わせは、要らんやろ?」とおっしゃって颯爽とどこかに立ち去られ、総会も懇親会ももちろん合宿座談会もお出にならないまま、翌朝シンポ開始直前まで姿をお見せにならなかったので(笑)、ま、そこで強くお引き留めする手もあったんですが、これは当日何が飛び出すか分からないライブ感を楽しみましょうってことだなと思って、百戦錬磨の諸先輩にあんまり打ち合わせ打ち合わせ言うのも失礼だし、と思って、口頭での打ち合わせはないまま臨んだ、という次第なんですね。で、僕自身は、主観的には楽しませていただいたんですよね。どうよ、俺、このセッション仕切ったぜ?的な。
 

 でもまあ、ある見方からすると、「散漫」だったと。なぜか。直前の口頭の打ち合わせがなかったせいで散漫になった、わけではないんですね。実はほとんど完璧に構成案通りに進行したんです。つまり、もともとの構成案自体が、あえて総花的・概論的にしてあったわけです。


 マンガ学会は、普通学会になんか入らない学部学生のためにも学生会員枠を設けていることもあり、若い会員が多く、また今回は地方開催で松山の地元マスコミで盛んに事前の報道がされていたということもあり、一般参加の聴衆も多いことが予想されました。
 そうするとやはり、あまり手塚とその歴史的な位置づけについての、マンガ論上の「常識」が共有されていることを前提に出来ない、ということがあり、あえて今日の研究の水準を概観した上で今後の課題を展望する、という方針をとり、当日の流れで深められそうなところは時間の許す範囲で詰めて議論する、ということで、そのことを事前の構成案に記して参加者のみなさんのご了承を得ていたわけです。で、僕としては、結果的に、参加者のみなさんのおかげで、こちらの期待以上の水準で、その趣旨は実現できたと思っています。


 もちろん、僕個人としても、あそこはもっと掘り下げたかった、といった論点もあったのですが、あくまで当初の予定通りのバランスを保つことを意識した進行をさせてもらいました。結果的に、参加者のみなさんにとっても、手塚についてある程度お詳しい皆さんにも、不完全燃焼感や散漫な印象の残る内容になったものと思われます。
 僕の進行の仕方次第では、構成の趣旨は保ちつつ、もっとメリハリの利いた、まとまりのある議論にすることもできたのかもしれず、その点の力不足は、参加者、およびご不満をもたれた聴き手のみなさんにお詫びしたいと思います。


 ただ、さっき触れた当日直接聞いた感想だけでなく、ミクシィ内の日記など、若い聴衆のネット上での感想を見ましても、やはりああした構成が功を奏したようで、好評です。


 「大学でマンガが教えられるようになった」などと言っても、実作者の養成がなされているだけで研究者の体系的な育成がなされている大学(院)は存在しないと言ってもいいのが現状ですから、マンガ学会は、自立した研究者の交流の場であると同時に、マンガ研究に興味はあるけど・・・といった人たちのための教育・啓発の場でもなければならない。ここにこの学会の抱えている困難があるわけです。
 今回のシンポジウムはこの両者のバランスをとる試みとしてはかなり成功した例だと自負しておりますし、その成功は参加者のみなさんのご協力あってのものと感謝しております。


 漫棚さんと夏目さんの感想は、それはそれでありうるものだと思いますが、今のところ、特に多くの方が読まれるネット上での感想がこの二つ、だと、ちょっと当日僕が感じた手ごたえとはかなりズレがあるので、手前みそではありますが、ちょっと自画自賛めいたフォローをさせていただいた次第です。
 実際、中身がどうだったのかは、「のりみ通信」さんのレポートも出ていますし、


http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-288.html
http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-289.html


 学会誌にも全文掲載される予定ですので、お待ちいただければと思います。
 学会2日間全体の概要は、とりあえず明日の西日本新聞をご覧ください、ということで。