宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

お昼ごはん後は「大竹伸朗 路上のニュー宇宙」展

 炎天下の大濠公園をてくてく歩いて福岡市美術館の外においてある草間彌生のかぼちゃを囲んで記念写真撮ったりしながら、待望の大竹伸朗展を見に参ります。



 ・・・・・・・・・。絶句でした。
 と書いて終わらせたいくらい圧倒的でした。分かってはいたけどやっぱり凄いす。
 なんていうか、「仕事量」が尋常じゃないんですよ。一つ一つの作品に込められた仕事量がすでに半端じゃないのに、そのレベルの作品が、一体どういう生活すればこんなに???っていう数並んでるわけです。有名なスクラップブックだって、間近で見るともうこれは「ブック」じゃねえだろっていう分厚さ+1ページ1ページの貼り込み量+貼り込まれたモノの組み合わせの絶妙さ、なわけです。大体貼ってあるのは旅先で集めた雑誌や新聞やチラシの切り抜きなわけで、こんだけの量を旅先で集めてること自体がすごいわって話なんです。
 それに加えて立体から平面まで、極小から極大まで、写真から油彩まで、エレキギターからリモコンまで、現代美術が知っているあらゆる技法、あらゆる様式をそのどれもがとんでもないレベルで使い回されて、おそろしく多様な作品群がこれでもかと並んでると。
 いやー、ほんと、なんていうか、ありがとうございました、言葉本来の意味で「有難い」経験をさせていただきました、という感じでした。実際、大竹伸朗の仕事って、恐ろしく深い闇を抱え込んでいながら、でもなぜかものすごく「健全」な感じというか突き抜けたユーモアを感じさせるんですね。それってやっぱりちょっと宗教的な意味で「有難い」感じもするんだけど、でもやっぱりこれは宗教にはならないものだな・・・。なんだろ、よくわかりません。大体、大竹伸朗なんていろんな人がいろんなふうに論じてるだろうに、そんなの全然知らないで稚拙な言葉をここに書き付けてるわけで、もうほんとごめんなさいです。
 それで、ちょっと勢いで個人的なことも書いてしまうとですね、一昨日のエントリでも書きましたが、金曜の夜にちょっと熱出して、熱下がったっぽいのをいいことに土曜日は九州部会に出て夜0時半までたっぷりおしゃべりしたりしたもんですから、昨日は疲れが自覚症状以上に残ってて、なんとなく時間にルーズに行動してしまったり、途中から合流してくる学生さんに、連絡すべきタイミングで連絡するのをすっかり忘れてたり、なにげに引率者にあるまじきミスをいっぱいやらかしてたんですよ。
 しかも、九州部会の日の夜に、僕の実家のお向かいさんのおばちゃんが急に亡くなったっていう報せが入ってたこともあって、ちょっと感情の乱れが微妙にあったんですね。
 なので、学生さんたちには結構迷惑をかけてしまったんですけど、あーあんなに明るくてかわいいおばちゃんも死んじゃうんだなと思いながら、この世界に生まれてきたことの歓びを目一杯祝福しようとしている絵本たちや、およそこの世界に存在する、あらゆる打ち棄てられたもの手垢にまみれたもの傷ついたもの滑稽なものを、全て自らのうちに取り込んで組み合わせて取り出して、そこに「ニュー宇宙」を現出させてしまう大竹伸朗の仕事ぶりを見ていると、いつになく自分の心が鳴ったり動いたりする感じでちょっとやばかったです。もちろん、いい意味でなんですけど。
 てことで、最後は普通に宇和島駅前と化した美術館前で記念撮影してシメたのでした。あ、ちなみにこの二つの記念写真は、福岡市美術館の近所に住んでるので合流してくれたid:komogawaさんに撮ってもらったものです。彼が入ったバージョンも撮ろうって全然言ってないあたりにも、昨日僕がいかに実は平常心でなかったかが表われてたりします。ま、年に数回はこういう日もあるということで、みなさんご容赦を。



既にそこにあるもの (ちくま文庫)

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ローカル―ROADSIDE JAPAN珍日本紀行リミックス版

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美術手帖 2006年 12月号 [雑誌]

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ユリイカ2006年11月号 特集=大竹伸朗 全身表現者の半世紀

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