宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

このあと

ヤマダトモコさんの「「萌え」と「乙女ちっく」のあいだにあるもの、あとからくるもの」、夏目・東・伊藤鼎談、僕の「『NANA』は7と8のドラマである」、金田淳子さんの「ヤオイ・イズ・アライヴ」と続くんですが、この4つは、「少女マンガ」、「萌え」、「やおい」、「キャラ/キャラクター」といった論点で少しずつつながっていて、順番どおりに読むと、お互いがお互いを際立たせ、響き合うような組み立てになっています。この特集の一つのヤマになっていると思います。
ヤマダさんのは、去年から漫画史研究会周辺で本田透さんの仕事を素材にさかんに議論されていた、「おたく」とか「萌え」と、「乙女ちっく」はつながってるよねという問題について、現時点で最も包括的なまとめになっていると思います。いつもの、たどたどしいながらも、そんなふうにしか書けなかったのだという必然性を感じさせる文章は、道なき道にばかりなぜか踏み込み、舗装されている道にさえ、この道はこんな風に舗装されるべきではなかったのでは?という疑問を抱きながらゆっくりゆっくり歩くヤマダさんの思考の痕跡だというべきでしょう。
夏目・東・伊藤鼎談についてはすでにふれたので飛ばしまして、僕の「NANA」論ですが、id:ANo1さんやid:lacoさんに、早くも鋭く指摘されているように、
http://d.hatena.ne.jp/ANo1/20051230/1135927607
http://d.hatena.ne.jp/laco/20051231
せっかく「ユリイカ」に書かせてもらうんだし、普段しないような、いかにも表象文化論な感じの書き方を試みたものです。かつてあの人やあの人の書き物がそうだったように、どこまで本気でどこからホラか分からないような、しかし、思いがけない視野を切り開くハッタリになりえているかどうかは、読者のみなさんの判断を仰ぐほかありません。もちろん、僕があの人やあの人たちと同レベルのタマではないことは、火を見るよりも明らかなわけですが、ま、たまにはこんなのも書いてみたいわけです。単純に、こういうのがマンガ論読者のみなさんにどういう反応をされるのか知りたかったというのもあります。
で、金田さんのやおい論ですが、これは、イイっすね。金田さんは、多分これが商業誌デビューだと思うんですが、いい具合に気負いが出ていて、盛り上がりました。瓜生吉則さんもそうですが、きちんとした社会学徒は、マンガを扱う時も、社会学の視線にはどのような死角があるかを意識し、「表現」の位相にもぴたりと焦点を合わせることができるという好例だと思います。「天動説やおい/惑星連立やおい/地動説やおい」というカテゴリーも、一見馬鹿馬鹿しくも実はよく考え抜かれた命名の仕方に、「ベタ」と「ネタ」のあいだを自在に往復するやおい表現のありようを、自らの思考のうちに引き受けようという意志が見えて、すばらしい。最後の謝辞には「…さんには大変お世話になった。記して謝します。」とあり、「謝します」と言いつつ、「お世話になった」と言い切るあたりにも、金田さんの漢(おとこ)っぷりを勝手に感じました。

てことで、続きはまた明日。明日で最終回です!