宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

谷口ジロー二題

http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post_9047.html
http://d.hatena.ne.jp/ANo1/20050607
たまたまでしょうが、谷口ジローの話題が続きました。書き方が対照的で、とっても面白いです。
漫棚通信さんのは、自分の「論」を前に立てるより、とにかく素材の面白さを伝えることに努めておられます。
ANo1さんの方は、僕のように表象文化論なんてとこにいた人間からすると、イーストウッド、野茂、中田とつながっていくそのチョイスと着眼点など、若干既視感のある書きぶりですが、その書きぶりに安住すまいとしている感じもちゃんとあって、いいなと思います。
このお二方に限らず、僕がアンテナに入れさせていただいているみなさんのお書きになるものを見ていると、今の日本のマンガ論の最良の水準は、こうしたブロガーの方たちによって支えられている部分が大きいなあと思います。それなりに名の知られたプロのマンガ評論家の方々と言えども、少なくとも今の仕事で比べると、すでに彼らによって抜かれてしまっている側面がある。まして大学の教員やら院生でマンガの研究をしていると称する人たちの書くものといったら、大半は惨憺たるものです。
在野の、それも物書きを生業にしているわけではない方たち(ですよね、多分)の水準がここまで上がっていること自体は、マンガとマンガ論にとっては多分幸福なことだと思うのですが、大学にいる者としては、これが、若くて良質な知性が大学という場を忌避する振る舞いが普及しつつあることの表れではないかと、おそれます。
ちょっと強い言い方になりますが、もし僕が今、20代前半の生意気盛りだったら、インターネットでこれだけのものが日常的に読めるのに、わざわざ高い旅費払ってマンガ学会に院生の発表を聞きに行く理由なんかねえよ、って思ってしまうと思います。ことは、マンガ研究の領域に限った問題ではなく、大学という場全体の問題のような気がします。