宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

坐禅と写経体験

 今日は明治大学の学生が有意義な課外活動を企画実施するM−NAVIプログラムの一つ、坐禅と写経体験の担当教員として、愛宕にある萬年山青松寺(ばんねんざんせいしょうじ)に来ています。



 15世紀に開かれた由緒ある曹洞宗のお寺です。まさに都会のオアシス的なロケーションです。
 青松寺さんのホームページはこちら。駒澤大学もここから始まってるんですねー。


http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/


 各種講座も興味深いものがありますね。


 ということで、学生23名、事務方さん2名と一緒に体験してまいりました。
 まずは本堂でお寺での基本的な作法やそれを支える考え方などを教えていただき、読経に合わせての五体投地の礼拝とお焼香をしました。五体投地の礼拝は始めてちゃんとしたやり方を教われてうれしかったです。
 その後、靴下を脱いで、腕時計などの装飾品も外して道場に移動し坐禅の基本的な作法と考え方を教わり、早速坐禅。本来は40分くらいが標準だそうですが、今回は3時間半という限られた時間の中で座禅も写経もというプログラムをお願いしたので、25分にしてくださいました。
 おしりの下に敷く坐蒲の使い方も初めて知りましたし、警策(きょうさく)の音も初めて実際に耳にしました。本当に目が覚めるというか背筋が伸びますね。眠くなってきたりしたら、自分から望んで警策で叩いてもらうこともできたんですが、あまりの迫力に、自らお願いするのは思いとどまってしまいました。
 何も考えず、無の境地に至る、というのはなかなか自分には遠いなあとも思いましたが、次々に考えが浮かんでくるのは仕方ない、けれどせめて考えを「追わない」のが大事だと道元師もおっしゃっているとのお話には、感じるところがありました。
 僕たち研究者は、つい、とことん考えるのが何事においても基本、「追究する」のが仕事、という暮らし方をしていますが、なんというかただ「つられて」追いかけてるだけのように考えが展開してしまっているときには、それは本当に追うべきものなのか、いわゆる「深追い」ではないのかということは反省すべきことかもと思いました。いや、実は、こういう、追わなくてよい考えを「追わない」ことで心を整える、というのは、震災の後くらいに読んだ何冊かの本の中にも共通して出てきたことだったので、あらためて、そうなんだなーと思った次第です。


 坐禅の後、畳のお部屋に移動し、熱いお茶をいただき、少し感想などを話した後、また別の部屋に移動して写経体験。
 写経も、限られた時間で写せるものということで延命十句観音経という短いお経をご用意くださいました。実は小学生のころ書道教室に行っていたのですが、硯で墨をするところから始めるのなんていつ以来だろうという感じでした。次第に漂ってくる墨の匂いが気持ちを落ち着かせてくれますね。
 筆を使うのもほんとに久しぶりで、なんかもどかしかったですが、時々いい感じに筆が運べたように思える時があり、筆いいなあと思いました。


 このところ、本当に時間に追われる日々でしたが、短いながらもこういう時間を過ごせたことは、たまたま学生部委員になりM−NAVIプログラムを担当することにならなければありえなかったご縁で、まさに有難いことでした。


 こちらの学生たちの要望に快くお答えいただき、何人もの僧侶のみなさんにご対応いただき、大変素晴らしい時間を過ごさせていただいた青松寺のみなさんにお礼申し上げます。ありがとうございました。