宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

今日の寝る前の本

【5日の0時台に書いています】

 今日は往路、電車内で、図書館で借りてきたこちらを次男に。

 あー、たのしい。こういうの、ほんと大好き。
 寝る前の本も、図書館で借りてきたこちら。
がんばれ じゃがいも (世界の絵本)

がんばれ じゃがいも (世界の絵本)

 全然知らない作家ですが、図書館で何となく表紙にひかれて、中をパラパラ見るとよさげに見えて、次男も同意だったので、借りてきました。
 で、今日初めて読んだんですけど、ま、絵は好きな感じですが、話がちょっとなー。収穫祭で優勝した(てことは品質がよかった)じゃがいもたちが、なんかテンション上がって夜中に遊園地的なとこに繰り出します。
 一方、スプラッタ的なノリでばんばん野菜たちを切り刻んでる料理人が、じゃがいもがないな、お、あんなとこでじゃがいもがいっぱい遊んでんじゃねえか的な感じで、じゃがいもたちをがっさりつかまえて調理しようとするんですけど、じゃがいもたちが力を合わせて料理人に反抗して、料理人をお鍋に放り込んで逃げていく、いえーい、終わり、っていう話なんですよ。
 野菜を擬人化して、調理されるのも食べられるのもイヤがってる設定にして、料理人を残酷趣味で野菜を切り刻んでるように描いてる時点で、んー、て感じだし、そもそももう収穫されて土から離れた野菜が、調理されなくて済んだからって、その先どんな未来が?ってのも何か、釈然としねーって感じです。じゃがいもはまだこの先芽が出る可能性があるっちゃあるけど、人間に育てられたじゃがいもが人間に食べられることから逃れるのを「がんばれ」と応援してる語り手は一体何なのって気がしてしまいます。
 ウチは、よく子供たちが、おいしいものを食べる時に、その食べ物さんが「おいしく食べてねー」って言ってる設定にして楽しくいただいているので、次男も、ちょっと微妙な感じでした。嫌がる野菜を無理やり切り刻んで調理して、しかもその「嫌がってるのを無理やり」ってのを楽しんでるかのように、調理風景を描かれると、その上で、そうして調理された野菜を自分らは食べてるんだっていう想像力が働いちゃいますからね。
 ま、たまにはこんなこともありますね。じゃがいもたちが絶叫マシーンで楽しんでる絵とかは悪くないんですけどね。