宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

丸山昭さんとの講演会

 無事終了しました。
 マンガ学会の関西交流部会のみなさんを中心に、丸山さんがお目当ての、ということはマンガ史に関するかなりの予備知識をお持ちの、聴き手のみなさんに恵まれまして、非常にいいリアクション(ウケてほしいところで確実にウケてくれる!)をいただきながら、話を進めることができました。
 お話は、もともと、この大阪国際児童文学館に、『講談社の絵本』が漫画の巻に限らずほとんどすべて、大変よい状態のものが所蔵されているのは、丸山さんが会長を務められていた講談社の社友会からの寄贈によるものであることのご紹介から始めました。今回の展示、およびこの講演の企画は、ご寄贈いただいた資料がいかに貴重で興味深いものであるかを利用者のみなさんに知っていただき、またそれを有効活用していることを丸山さんに見ていただきたい、という意図もあってのことでしたので、丸山さんにも寄贈に至る経緯や、展示をごらんいただいてのご感想などを語っていただきました。丸山さんは、戦前の『少年倶楽部』、および戦後の『漫画少年』の編集長として著名で、『講談社の絵本』の立ち上げも担当した加藤謙一氏とのお写真をお持ちくださり、お見せくださいました。
 で、僕が一応『講談社の絵本』、およびその中の漫画の巻の概要、およびマンガ史的な位置づけ等についてご紹介し、「教育的配慮」の子供向け物語マンガへの導入と定着という流れの中で『講談社の絵本』が果たした役割の大きさについて触れた上で、戦後、丸山さんが関わられていたころの講談社の少年少女雑誌における漫画のあり方のお話へと展開していきました。
 丸山さんが編集に携わっておられた『少女クラブ』は、まさに、石森章太郎水野英子ちばてつやあすなひろし、といった作家を積極的に起用し、かなり自由に描かせることで、ある意味では、「子供向け」の「マンガ」にふさわしい「教育的配慮」を捨てていくことによって、マンガ表現を深め発展させていった、ラディカルな実験誌としての性格を持っているわけです。その辺の事情について、当時、丸山さんがどのようなことをお考えになっていたのか、またそうした丸山さんの担当されるマンガ作品が、編集部内でどのように受け止められていたのか、といった点についても、実際の当時の『少女クラブ』の誌面をお見せしながら、お聞きすることができました。
 その中で丸山さんは、いくら子供向けだからって、自分たちが読んで面白くないものは載せたくない、という思いがあったとおっしゃっていたのですが、これってかなり画期的なことだったんだろうなと思います。「自分たちが読んで面白い」かどうかが、まず最初に考えられるべき条件になる、なんてことは、それこそ『講談社の絵本』の中で洗練されてきた子供向け物語マンガの作り手たち(作家・編集者)にはなかっただろうと思います。まず最初に考慮されるべきは、やはり、「自分たちにとって」ではなく、「子供読者にとって」、「面白くて」「ためになる」かどうか、だったと考えられるからです。
 これも丸山さんの言葉にあったのですが、大人が「ひざをかがめて、子供の目線に合わせて」作ったマンガなんて面白くないよという感覚があったようです。大人が子供向けに与えるんじゃなくて、兄さん姉さんが自分が面白いと思うものを、弟妹にどうよと示し、弟妹たちは、そこにちょっと背伸びする感覚を味わいながら読む、という形が、できてきた、というのが戦後の少年少女マンガの流れなんだろうと思います。
 今回の展示の意図は、戦前・戦中の子供向け物語マンガに、最初から「教育的配慮」がちゃんとあったわけではなく、むしろ最初はほとんどそういうものがなかったことに対する教育学者や児童文学者からの批判に応じる形で、講談社が先導するように道徳的な教訓を含んだ「面白くて」「ためになる」マンガができ、ようやくそれが定型化し、戦後の少年少女雑誌のマンガにもそれが受け継がれていっていたところに、再び「自分たちが面白くなきゃ」という感覚で作られたマンガが登場してきたために、かなり強いインパクトを読者に与えたのではないか、という仮説を提示することでした。
 そこで、さらに、戦後の「悪書追放運動」とそれへの丸山さんたちの対応と『少女クラブ』のあり方との関わりなどについても、おうかがいし、「教育的」な観点からの批判とそれへの応答、というサイクルの中に、『講談社の絵本』も『少女クラブ』も置かれており、しかし、そこでの応答の仕方にはやはり、先ほど述べたように「大人」が「ひざをかがめる」ような「教育的配慮」と、兄さん姉さんが弟妹の憧れを背伸びを誘うような刺激の与え方としての「(広い意味での)教育的配慮」という違いがあったんでしょうね、という話でまとめることができました。
 時間もほぼぴたりと予定通りに収めることができ、我ながらなかなか見事な進行だったですねー。随所で本当にいい感じで笑っていただくこともできましたし、丸山さんに話していただく時間もちゃんと取れたと思います。おかげさまでアンケートに書かれた感想を見ても大好評で、久しぶりに「いい仕事したー」という感じを味わわせていただくことができました。
 それももちろん、丸山さんの、ほんとに気持ちよく相手をしゃべらせてくれるお人柄と、熱心な聴き手のみなさんあってのことだったと思います。非常に幸福な時間を過ごさせていただきました。
 講演会終了後は、関西部会のみなさんとの懇親会もあり、楽しい一日でした。丸山さん、児童文学館のみなさん、聴きにきてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
 

 いやー、それにしても、小学生のころ、トキワ荘の作家たちによる『トキワ荘物語』を読んでいたときは、まさか自分が将来この「丸さん」と飲み会で親しくお話しさせてもらったり、公の場で対談させていただくことになるなんて、思ってもみませんでした。なんというか、あらためて、運命の不思議と自分の幸福に、感慨しきりの37歳の夜であります。