宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

今週の比較メディア文化=メディア文化概論

 前回に続いて「〈私〉をつくるメディア」の2回目でした。前回、鏡、写真と、ビジュアルな〈私〉像の形成を支えるメディアについて見てきたわけですが、鏡も写真も、原則的に自分でそこに写る自分の像を自由にできないという特徴があります。鏡はその前にあるものを光学的に反映しているわけですし、写真も基本的に自分が写っている写真は他人が撮ったものであることがほとんどで、特に幼い頃はそうです。その写真をアルバムにまとめたりするのも親であることが多いわけで、〈私〉の〈私〉イメージ、あるいは〈私〉の記憶の物語は、その原型の部分は、他者の視線を介してできあがってくることになります。
 では自分自身で〈私〉のイメージや物語を作るメディアとして最初に使えるようになるのは何か。多分絵と文ですよね。ということで今回は作文、日記、手紙などを書くという行為を通じての〈私〉のつくり方を考えてもらうために、小中学校時代に交換日記や授業中の手紙交換などの記憶をたどって書いて話してもらった上で、1980年代初頭に東京郊外在住の中学生だったY子さんの交換日記を分析した本田和子の『交換日記』を紹介しました。

 これ、岩波の子供論のシリーズの一冊なんで、紙数に限りがあったらしく、分析対象となっている日記自体のモノとしての形態など、僕からするともっときちんと書き留めておいてほしいことがあまりきちんと記述されていないんですが、それでもやはり内容的には面白いです。1冊まるまる特定の子供の交換日記の分析というのも類書がないと思いますし。
 リアクションペーパーに書かれた受講者の交換日記・手紙交換体験の話もそれぞれかなり面白かったです。ていうか、もう高校になるとケータイに移行して行く世代ですから、小中学校時代も交換日記よりメモ手紙中心かと思ったのですが、意外にも4人くらいでの交換日記体験ありの人が多かったです。Y子さんの時代よりかなり表現方法も多彩だったみたいですし。手紙交換の方も、書いた紙の折り方の話とか面白いです。社会学者の人はいっぺん全国規模で交換日記・手紙交換調査とかやればいいと思います(やってたらごめんなさい、教えてください)。
 次回は変体少女文字/長体ヘタウマ文字の話からケータイの話に展開しつつ、今日提出してもらった最初の課題の紹介もする予定です。