宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

てことで

 霧雨の中の見学&ライブツアーは大充実のうちに幕を閉じたのでありました。
 いやー、しかし、三上寛、よかったー。
 昨日の日記にあるリンク先を見ていただければ分かるように、前半が、三上寛ソロライブ、後半が上杉貢代舞踏秘儀「自由な結合」というプログラムになっていて、前半が1時間40分ほど、後半が50分ほどだったでしょうか。
 正直、1時間ずつ位かなと思ってたので、前半が長かったのがすごくうれしかったです。もう、まじかっこいいんだもん。
 俺でも知ってる70年代の名曲をたくさん演ってくれたので、テンション上がりました。曲が終わるたんびにほとんど一人でフォーフォー、フーフー言ってたのは私です。てか、若人たちよ、静か過ぎだ。でも、そのインパクトはちゃんと伝わってたようで、むしろ圧倒されたって感じだったようです。
 昨日紹介した原宏之さんのブログで、今の三上寛に興味を持つ若い人も「ドン引き」になると言われてた、性欲の塊が詩心を持ってしまった系の曲はほとんどなかったのも、学生さんたちにはよかったんではないかと思います。
 後半のコラボレーションは、三上さんの歌→上杉さんの舞踏→上海素麺工場の役者である天津甘栗さんの短いお芝居→歌→舞踏→歌+舞踏→上海素麺工場主宰の支那海東さんのお芝居+舞踏→歌+舞踏といった感じで、だんだん歌・舞踏・芝居のからみがエスカレートしていく構成でした。
 こちらも上杉さんの身体の動きはやはり圧倒的なものがありました。人間の体はここまでいろんな動きができる、というか、ほとんど「人間の動き」に見えないくらい、僕らが「自然な動き」と思ってる動きから逸脱した動きによって身体を異化すると申しましょうか。いや、あんまり詳しくないんでいい加減な言い方ですが。
 その動きが、いわば意味づけを拒むような、「物語」としての理解を拒むような性格を持っているのに対して、三上さんの歌世界は、最終的にはそこから跳躍する「詩」の力があるにせよ、基本的には非常に物語性が強いわけですし、支那海さんたちのお芝居も、かなり意味性の強いものだったので、両者をあえてぶつけることが、今回の狙いだったのかなと思いました。学生さんたちには、上杉さんが50代の女性だということもあってか(その肉体の見事さと言ったら!)特に女の子たちにインパクトが強かったみたいです。
 ちなみに打ち上げでは、三上さんにだけ話しかけることのできなかった私です。久しぶりに自分の中の中学生と対面させられました。