宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

『貸本マンガRETURNS』

貸本マンガRETURNS

貸本マンガRETURNS

版元はポプラ社。ちょっと意外なところから出ましたが、編著者は貸本マンガ史研究会ですから、中身は折り紙つきだと言っていいでしょう。
まだぱらぱら見ただけですが、戦後の貸本業界と貸本マンガの概要を述べた序章に始まり、第1章は時代劇、第2章は探偵・アクションもの、第3章は少女マンガ、第4章怪奇もの、第5章青春もの、という包括的な構成に、小さなトピックを扱ったコラムが織り込まれています。
あとがきでも述べられているように、紙幅の都合で戦記ものとユーモアものには触れられていませんが、詳細な「貸本マンガ関係年表」をはじめとする資料編も充実しており、貸本マンガの概説書としては、いきなりすごいものが出たなという印象です。
団塊の世代の成長とともに、その主題と技法を発展させてきた日本の物語マンガの歴史を考える上で、貸本マンガはきわめて大きな役割を果たしてきたと考えられます。
戦前・戦中からすでにあった、大人向けの物語マンガではなく、子供向け物語マンガの延長線上で、ティーンエイジャー、さらには大学生といった思春期から青年期の読者に向けた物語マンガは、まさにこの貸本マンガという領分で生まれた「劇画」によって確立されたと言えるからです。
にもかかわらず、実は一冊丸ごと貸本マンガを主題とした研究・評論書というのはなかったわけです。
貸本マンガを中心にしつつ貸本文化全般を扱った梶井純『戦後の貸本文化』(東考社、1976年)や、貸本屋に育った自らの体験を対象化しつつ、貸本マンガを語った長谷川裕『貸本屋の僕はマンガに夢中だった』
貸本屋のぼくはマンガに夢中だった

貸本屋のぼくはマンガに夢中だった

などの良書はあったものの、一般の読者に貸本マンガの全容を分かりやすく語った入門書となると皆無だったわけで、画期的な一冊だと思います。

編著者の貸本マンガ史研究会は、上記の梶井純、それから権藤晋三宅秀典三宅政吉、ちだきよし、吉備能人の各氏からなる研究会で、2000年以来、季刊『貸本マンガ史研究』を刊行し、大変充実した成果を挙げています。
ご存知の方も多いと思いますが、梶井・権藤の両氏は、60年代に創刊された『漫画主義』の同人で、以来一貫した問題意識で貸本マンガ・劇画を論じ続けて来られています。『漫画主義』は、両氏のほか、最近現代美術とその評論の分野で再評価が始まっている故・石子順造、それから現在は映画評論家として著名な山根貞男(『漫画主義』では菊池浅次郎名義で執筆)の4名によって創刊され、「マンガをマンガとして語る」ことを本格的に標榜し試みた、最初のマンガ評論運動だったといってよいでしょう。呉智英氏の評論デビューも実はこの『漫画主義』でした(「新崎智」名義で執筆)。
また三宅秀典・政吉の両氏はご兄弟で、70年代にやはり同人誌『跋折羅』を創刊し、70年代後半には、米沢嘉博亜庭じゅん氏らの「迷宮」グループが評論同人誌『漫画新批評大系』で展開した「マニア共同体論」をめぐる論争の当事者でもありました(「宮岡蓮二」が二人の協同のペンネーム、のはず)。
評論家としては非常に狷介な人々というイメージが、(主に呉智英さんのおかげで)持たれている人々ですが、やっぱり貸本マンガ・劇画を語らせたら、この人たちの右に出る人は今のところいないわけで、しかもこの本では、一般の読者を意識してのことだと思いますが、かなり平明な文体を採っています。
もちろん、以下のような文章を見ると、うわー『漫画主義』だあ、と思うわけですが、僕はこういう啖呵の切り方、好きですよ。

 具体的な統計によって記録されている、この引用にある「一五〇点をこえ」たというマンガの単行本の数などは、ほとんど資料的な意味はない。統計資料などですくいあげることのできない部分こそ、「赤本マンガ」の量と質の実態であっただろうからである。これは、後年の貸本マンガの全盛期でも事情は変わらない。しかし、この左翼知識人の「良心的」な概観の背後には、間違いなくマンガが大量に送りだされていた雰囲気は伝えられている。(p.35)

「統計資料などですくいあげることのできない部分」への意識をしっかり持ちつつ、しかし統計資料もあるならちゃんと紹介しましょうというのが、研究者としての僕の微温的なスタンスになるわけですが、こういう書き方はこういう書き方で、あっていいと思うんですね。
とにもかくにも、モノクロとはいえ引用図版も豊富ですし、これで全335ページ、1800円は、間違いなく、買いでしょう。戦記ものやユーモアものも取り上げた続編への期待も込めて、強く応援していきたいと思います。