宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

「テヅカ・イズ・デッド」をめぐる二つの座談会

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

で、まず冒頭に置かれた夏目房之介伊藤剛両氏とミヤモトによる座談会「キャラの近代、マンガの起源」ですが、当日しゃべった直後は結構だらだらしてしまったかなという印象で、自分としてもあまりちゃんと機能できなかった気がしたんですが、タイトにまとめてくれたおかげで、非常にいいものになってると思います。「テヅカ・イズ・デッド」を読み込むためのガイドとしてだけでなく、そこからさらにどう議論を発展させうるかまで見通せる感じになってるんじゃないかと。
ただ、少しずつ順を追って理解を深めていくためには、むしろ夏目さん・伊藤さん・東浩紀さんによる「「キャラ/キャラクター」概念の可能性」の方を先に読んでから、こちらに進んだ方がいいのではないかと思いました。座談会が開かれた順番で言っても、この紀伊国屋書店でのイベントの方が先ですし、一般公開のイベントなので、より開かれた議論になっていますし、斎藤環さん・竹熊健太郎さん・藤本由香里さん・山本夜羽音さんなどからの質疑などもあり、とっつきやすいと同時に、この本をめぐるありがちな誤解にまず触れておくこともできます。
今回の特集の主旨や内容の密度から言っても、「キャラの近代…」の方を最初に持って来るのは編集上当然の判断だと思うんですが、「これはちょっと難しいよ」、という向きには、「可能性」の方を先に読まれることをおすすめします。僕自身はこのイベントが行なわれていたちょうどその日、竹内オサムさんと壁にもたれていたので(笑)、全く内容は知らないまま、「キャラの近代…」の方の座談会に臨んだんですが、奇しくも東さんが竹熊さんや藤本さんの質問に答えて話されていることを、僕がフォローする形になっているんですね。そういうふうにつなげて読んでください。斎藤さんの質問にあった「フレームの不確定性」をめぐる議論も、かなりしっかり、こちらの座談で展開できていると思います。
いささか心残りなのは、「テヅカ…」では十分展開できていないのではないかと思われる「ウサギのおばけ/マンガのおばけ」概念を、「キャラ・キャラクター」概念とどう整合させるのかについても、ある程度議論したんですが、十分詰めきれないまま時間切れになったので、今回はばっさり切ってしまったことです。これについてはまたの機会を期すことにしたいと思います。
それともう一つ、大塚英志さんの『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』について触れた部分で、夏目さん・伊藤さんはきちんと内容に触れながら「テヅカ…」との差異と共通点について語っておられるのに対して、僕は、大塚さんの本を読むときの「使用上の注意」みたいな、一般的な話ばかりしていて、肝心の、僕の仕事を援用しながらこの本で大塚さんが展開している議論についての僕の見解を述べていません。その話をしだすと長くなってしまって、本論である「テヅカ…」の方の話をする時間がなくなってしまうことを恐れたためです。これについては、緊急を要するものでもないと思うので、博士論文でしっかりフォローさせていただきたいと思います。

ということで、続きは明日以降!