宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

21世紀の独裁者は悪人の顔をしていません

 別にどこかの国の首相の話ではありません。「森村泰昌:なにものかへのレクイエム−戦場の頂上の芸術」展の中のある映像作品に出てくるセリフです。「善良な皆さん」に向かって、あなたもまた、家族や、恋人や、友人に対して、独裁者になってはいませんかと、問いかける文脈で出てきます。
 こうした問いかけ自体は、いまや必ずしも目新しいものではないでしょう。「地獄への道は善意で敷き詰められている」といった言い回しもあるくらいです。
 しかし、この作品は、大きく左右に二分割された画面の片方で、ヒトラーを模した独裁者が、ドイツ語風に発音される関西弁で暴言の限りを尽くす一方、もう片方の画面で、同じ容貌の人物が、そのような芝居を終えた後の「素」に戻ったような、あるいは、犯罪者として捕えられ淡々と自らを語る機会を与えられたかのような調子で、英語で、「私は独裁者にはなりたくありません」と語り続ける、というものです。
 両者の映像は無限にループするようになっており、どちらが先でどちらが後かは言えなくなっています。つまり、独裁者としてふるまうことの得も言われぬ高揚感と、その高揚感が、つきものが落ちたように失われた後のむなしさとの、両方が対等に連続しているのです。
 ずっと見ていると、「私は独裁者にはなりたくありません」という圧倒的な正論が静かに語られることの、ほんの一抹の胡散臭さを、独裁者が痛烈に罵倒している作品にすら見えてくる。関西弁と英語の対比が、むしろ独裁者の暴言こそが本音で、独裁者にはなりたくないという正論は、日本人がアメリカから押しつけられた建前にすぎない、といった比喩になっているという解釈も可能でしょう。ここに、この作品の力、そして、この展覧会全体の、というより、森村泰昌の創作活動全体が持っている両義性が集約されていると言えると思います。
 

 というわけで、いろんな授業で何かと取り上げて、考えるヒントにさせてもらっている森村泰昌の展覧会を、2年と3年のゼミ生数名と見てきました。



 後ろのポスターになっている作品も、主要登場人物は全部森村です。
 いやー、予想以上に、一転一点が力作であり、また、さらに、全体が大きな物語にもなっている、重厚な展覧会でした。もちろん、森村独特のユーモアはどの作品にもあるんですが。


 古今東西の名画や女優に自ら扮する作品で著名な森村泰昌ですが、今回の展覧会は、20世紀の重要な政治家や芸術家、さらに20世紀の「決定的瞬間」をとらえた著名な写真に扮して、「なにものか」への鎮魂歌とする、というものでした。これだけ多くの男性に森村が扮するのも初めてでしょうし、自らのルーツを正面切って、日本の戦後史の中に位置づける試みにもなっているという点でも、森村の仕事の上でも画期的な展覧会だと思います。


 いつものように、森村が扮する人物たちは、その人物たちのまとう英雄性のオーラを一枚はがされて、その滑稽性を表面に漂わせています。誰も聞いていない公園で三島由紀夫に扮して行われる演説しかり、大阪の釜ヶ崎で実際の日雇い労働者たちを前にレーニンに扮して行われる演説しかり、およそそんなものは描きそうにない絵を描いている手塚治虫に扮した作品しかり、刺殺される浅沼稲次郎も、刺殺する山口二矢も、周りで狼狽する人物たちも、みな森村が演じている作品しかり。
 歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。森村は、20世紀の多くの悲劇やその担い手たちを、喜劇として再演しますが、それは、それらの悲劇(的人物)の滑稽性を暴きたてて、批判するためではないでしょう。むしろ、その悲劇性と喜劇性の二面性を、ひっくるめて慈しみ、その魂よ鎮まれと、願っているようです。
 だがそれにしても、最後に置かれた、硫黄島に白旗を立てる芸術家の物語の映像作品において、マリリン・モンローがまとっていた白いドレスが、いったん血に染まった後、波で洗われ純白に戻ることの意味は、まだ僕にはきちんとつかめないようです。モンローが、アメリカの罪を血をもって贖った上でしか、日本人の芸術家は戦場に白旗を掲げることはできないということなのでしょうか。


 とかなんとか、展覧会の力にあおられて一気にもっともらしいことを書き連ねてしまいましたが、おそらくもっと優れた、きちんとした評論が、図録の解説や、最近の『美術手帖』や『ユリイカ』における特集の中で、展開されているものと思われます。美術評論の専門家ではないのをいいことに、とりあえず自分の心覚えとして、記しておく次第です。

 
 最後に、自分でもなぜこんな微妙にイラッとくるポーズで写っているのかわからない写真をのっけておきます。



 でも俺、時々こういう姿勢で写真に写ってますね。やめよう今度から。


美術手帖 2010年 03月号 [雑誌]

美術手帖 2010年 03月号 [雑誌]

ユリイカ2010年3月号 特集=森村泰昌 鎮魂という批評芸術

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