宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

今週の「日本の大衆文化論」

 は、いよいよ最終回。まずは竹川大介先生が、先生の担当の回に話しきれなかった「大衆文化は文化の超新星爆発である」理論の続きを15分でなさり、それを受けて馬場、重信、竹川、ミヤモトの4人が壇上で討論する1時間10分でありました(残り20分は全学的にやっている授業アンケート)。
 「面白すぎる話は実証性を犠牲にしていることが多いので注意しましょう」などと失礼千万なことを僕が言ったり(いや、もちろん自戒をこめて言っているわけですが)するあたりから始まり、話題は転々としつつ、最後は今現在において果たして「大衆」と「大衆文化」はいかなる様態において存在しているのかということで、テレビとケータイの比較論みたいなとこに行って、なんとかそれなりのまとまり方をしたように思います。もちろん、4人もの講師に外部講師2人まで合わせて、ああだこうだ言って来た授業を、きれいにまとめる必要なんてなくて、ほんとは学生さんそれぞれが、その多岐にわたる話題と、それを捉える視点の多様性を、自分なりに整理していってもらいたいわけです。
 とにかくこれをおぼえておきなさいという知識を順番どおりに暗記していけば正解にたどり着けるような勉強で、このわけのわかんない世の中を泳いでいくことなんてできない可能性が高いわけで、大学で身につけてほしいのは、いろんな先生たちが、まだ正解にたどり着いていない、というよりそもそも正解なんてあるのかどうかも分からない問いを立て、めいめい違う仕方で答えようとしていろんな仮説を述べている中で、いったいどれにどの程度の説得力があるのか、自分で考えていける力なわけです。そこで求められているのは、学んだあとに問いを出す「学問」であって「勉強」ではない。学校のお勉強に飼いならされた自分のアタマに、もう一回野生の力をとりもどしていただくというのが、実はこの授業の隠れた目標だったわけなのであります。
 したがって学生諸君、結構この授業については賛否両論分かれているらしいので、この際はっきり言っておきますが、もし今日の授業アンケートに、「もっと話をまとめてほしい」だの「先生ごとに言うことや授業のやり方が違って困る」だの「しょっちゅう学生に当てるのはやめてほしい」だの書いてるとしたら、君の心身は骨の髄まで学校化されてると思った方がいい。それって、やばいから。そんなんで大学にいても、意味ないよ。少なくとも僕ら講師にとってはすごく刺激的な授業だったので、それが単なる自己満足じゃなくて、「賛」の方が多いといいな。