宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

明日の「マンガの居場所」は

 僕の順番、「ジャンプデジタルマンガ」で連載中の「マルラボライフ」ふかさくえみ)を取り上げます。毎日新聞夕刊をどうぞ。
 以前からこのブログでは何度か紹介してきましたが、ここへ来て、いよいよこれはほんとに強く紹介せねばという思いに駆られる面白さになってきたんですよね。
 残念ながら、というか、申し訳ないことに、というか、ごく限られた字数で、必要最低限の「言うべきこと」を詰め込んでいったら、結局、以前「七里の鼻の小皺」でこの作品について触れられた、力の入ったエントリ(及びコメント蘭での補足)
http://d.hatena.ne.jp/nanari/20060219
を、一歩も超えられないものになってしまいました。
 上記エントリでは、この作品の反復的な日常の時間とその終わりの予感との二重性について、丁寧な議論が、この作品のデジタルマンガとしてのシステム=形式上の特徴とからめて展開されているのですが、今回の僕の「居場所」では、舞台となるハイツマルラボの、「ラボ(=研究所=非日常的空間)」であり「ハイツ(集合住宅=日常的空間)」であるという空間としての二重性を、円環的な時間と直線的な時間の二重性を生み出す仕掛けとして強調しているものの、ま、基本的には大して変らない論点なんですよね。
 そこに、僕の授業に出てくれてた学生さんが作者だという、ほとんど反則的な小ネタをからめて、一歩も超えないまでも、半歩横にはみ出すくらいのものにはなってるかと思いますが、これだけ面白い作品に、はっきり自分独自の紹介の仕方を編み出せなかった点、内心、id:nanari氏に対しても、ふかさくさんに対しても、申し訳ない気持ちがあります。とりあえず、今回は、この作品をまずは世に広く知らしめる活動において、同盟を結んだものとしてお許しいただき、いずれまた、しっかりとした作品論を展開する機会を持たせてもらいたいと思っています。そのときに、おそらくnanari氏と僕の間にある、この作品の時空間の二重性についての捉え方の微妙な違いが、生産的な議論につながっていけば、と願っています。
 ともかく、みなさん、要は「マルラボライフ」は面白い、ってことなので、明日の「マンガの居場所」とともに、作品そのものに触れていただければ、と思います。