宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

そんなわけで今週で授業期間が終わります。

といっても、月曜の講義「比較メディア文化」は、今週の月曜が休日だったので、先週終わってしまいました。各回の内容を掲げてみます。

比較メディア文化(文学部比較文化学科専門科目、対象年次:3、4年)
第1回(4月11日):イントロダクション
 「マンガはつまらなくなった」か?
第2回(4月18日):マンガはたいへん不純である
 いろいろなアトムが示しているもの
第3回(4月25日):私たちにはマンガが読めてしまう!
 読むための規則とそれを知っていること
第4回(5月9日):マンガにおいて「キャラ」が「立つ」とはどういうことか
 原理と原点
第5回(5月16日):マンガ雑誌とそのふろく、そしてそれを愛好すること
 1970年代後半の『りぼん』を中心に
第6回(5月23日):『リボンの騎士』を読む(1)
 少年とリボン
第7回(5月30日):『リボンの騎士』を読む(2)
 サファイヤのいた場所
第8回(6月6日):マンガとアニメのあいだ
 始まりのテレビアニメ−『鉄腕アトム』第一回を見る−
第9回(6月13日):マンガの文献学
 「ドラえもん」の6つの「第1回」をめぐって
第10回(6月20日):マンガというビジネス
 マンガ編集の過程と、マンガ産業の構造
第11回(6月27日):マンガの現在(1)
 顔と身体、マンガ史の現段階
第12回(7月4日):マンガの現在(2)
 「DEATH NOTE」と「NANA」、二つのヒット作をめぐって
第13回(7月11日):「マンガは日本が世界に誇る文化である」か?
 国家的〈戦略〉との関わりの中で

おお。面白そうじゃないですか。なんせ、非常勤講師歴9年、今年は大学教員稼業10年目ですからね。こんくらいのネタはありますよ。
第2回から第4回が原理論的な話、それ以降は各論で、マンガとそれにまつわるさまざまな事象の多面性を、色んな角度から論じる、という感じです。
第1回のイントロは毎年旬のネタを仕込み、あと各論の部分も、毎年2、3本新ネタと入れ替えたり、その大学・学科の特色にあわせて組み合わせを替えたりします。
がっちり体系的な講義にはなってませんし、ほとんどが既存の研究の紹介になる回(たとえば第5回など)もあれば、ほとんどが僕オリジナルのネタでそのまま研究論文に出来てしまうような回(例えば第2回や第6回など)もありますから、これをそのまま講義録化してマンガ研究の入門書にする、なんてことはできないんですが。

そんなわけで、この講義に関しては、今までの蓄積を生かしていい感じでやれるだろうなと思ってたんですが、あにはからんや、4月と5月は引っ越しとその後始末のドタバタの疲れが出てしまい、また6月は学内運営上のお仕事(他の先生方に比べりゃ大したことないんですが、なんせ全てが初めてのことでちっとも効率的にできなかったんですね)に追われてしまい、とにかく万全の体調でお話できた日がほとんどなかったのでした。
マイクの音量が低いのに気付かなかったり、図版や映像を見せる機材の準備に手間取ったり、教室に持ってくるべき資料を忘れたり、声がかすれたり頭が重かったりで、自分としてはかなり悔いの残るパフォーマンスの連続でした。5時限と7時限に同じ内容の講義をするので、いつも7時限の方はかなり立て直せたんですが、5時限はほんとひどかった。年に1度あるかないかのベストパフォーマンス(こういうときは教室に200人いようが300人いようが、普段どんなにうるさい大学であろうが私語が完全に消え、すーっと全員の視線が自分に向かってくるという瞬間が、90分の間のほんの数十秒ですが、訪れます。そのときの快感たるや、もう、そりゃあなた大変なもんです。芸人さんの気持ちが少し分かります)を100点とすると、50点からせいぜい70点の間をうろうろする3ヶ月でした。
僕はいつも、予定通りのネタをきっちりチャイムが鳴る瞬間にしゃべり終えるということに快感を見出してきたのですが、今年はなんとチャイムより5分以上も早くしゃべり終わってしまうという回が何度もあるていたらくで、5時限の学生さんにはほんと申し訳なかったと思ってます。後期の「比較情報表現論」はもうちょっと何とかしますんで、どうか一つ、長い目で見守ってやってくださいまし。>北九大生のみなさん