宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

「未来のミライ」と魔法の庭

【ネタバレを含みます】
 
 前評判を見て期待値を下げ切っていたので、そんなにがっかりすることはなかったです。
 映像表現的・アニメーション表現的に「おおっ」と思わせられる目覚ましいイメージのカットは随所にあったので、そこは楽しめました。
 とはいえ、既にいろんなところで指摘されているように、監督が伝えたいらしいメッセージ自体があまり良くないうえ、そのメッセージに説得力を与える表現になっているかという点でもうーん…という感じでした。
 細田守の家族観の問題点や、今作での子育て描写のリアリティの薄さについては、こちらのレビューにほぼ同意なので、リンクを貼っておきます。


http://realsound.jp/movie/2018/07/post-228005.html


 単純に言って、この映画は誰に向けて作られているのか、よくわからなかったです。劇場には比較的小さなお子さんを連れた親子連れも結構いましたが、子供が夢中になれる映画だったかというと、三人の子供とそれなりに映画を観てきた者としては大いに疑問です。
 描写の対象としての子供の理解においても、観客としての子供の理解においても、やはり細田守より、宮崎駿の方が圧倒的に優れていると思います。自分の家の子の子育てに関わった時間で言えば、細田守より宮崎駿の方が断然短いだろうに(笑)。不思議です。


 さてその上で、ちょっと考えてみたくなったのが、この作品の舞台になっているくんちゃんの家、とりわけその中庭です。
 くんちゃんが疎外感を覚えていやいやモードになってこの中庭に出てくると決まって、この中庭が過去や未来つながる空間と化し、ペットの犬が人間の姿で現われたり、未来のミライちゃんが現れたり、お母さんの子供時代に飛ばされたり、ひいおじいちゃんの仕事場に飛ばされたりします。
 このとき、くんちゃんが知るはずのない過去の事実が明らかにされたりするので、くんちゃんが見ているのが、単なるくんちゃんの夢や妄想ではないことは明らかだと思います。
 この中庭には一本の樫の木が植えられており、この樫の木が家族の歴史のインデックスとなっていることが物語の終盤で明かされます。
 中庭という空間、そこに植えられた木が、くんちゃんを教え諭すように、くんちゃんを過去や未来や異世界へと召還する働きを持っているわけです。
 気になったのは、この木は誰がいつ植えたのか、ということと、そこで召喚される家族の歴史がなぜ母方のそればかりなのか、ということです。
 お父さんは建築士で、この家のある敷地に、ある時点でこの家がこの構造で建てられたことが物語の冒頭のカットで示されているので、この安藤忠雄風の住宅を設計したのはお父さんでしょう。つまりこの魔法の中庭はお父さんが作った空間なわけです。
 なのにそこで呼び出される家族の記憶はみなお母さんの家族のそれです。これはどういうことなんでしょう。
 樫の木も、ひいおじいちゃんの時代からあるような古いものではない。なぜこの樫の木がそれほど古い記憶を宿しているのか、そしてそれはお父さんの意図で植えられたのか、お母さんの意図で植えられたのか。
 作品を一回見ただけで、作り手たちのインタビューなども一切読んでいないので、特に有力な解釈というのはありません。
 疑問を疑問として備忘録的に書き留めたという感じです。
 一応普通に解釈すると、子育て、家族の歴史の継承というのは、基本的に母の仕事であり、父にできるのはあくまでそのサポートに過ぎない、とはいえそのサポートは意味のないものではない、という監督の子育て観が、中庭を作ったのは父親だが、そこに植えられた樫の木が召還するのは基本的に母系の力だという形で表れているのかな、ということですが、どうなんでしょう。