宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

「ポンチ絵」について

 人工知能学会の学会誌の表紙イラストの問題から派生して、そのイラストを「ポンチ絵」と呼ぶ人がいたことから、伊藤剛さんがツイッターで、今、「ポンチ絵」という言葉がどのように使われているのか問いかけたところ、思いのほか、理工系というか技術系の現場で広く使われていることが分かって、これは興味深いですねという話があったようです。
 で、もともと「ポンチ絵」ってどういう意味だったの?宮本センセイよろしく、みたいなことになっていたので、ごくざっくりと。


 もとをさかのぼるとイギリスの人形劇「パンチとジュディ(Punch and Judy)」とそのキャラクターに到ります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%81%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%87%E3%82%A3


 これを前提に、イギリスで1841年、諷刺雑誌『パンチ』が生まれます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%81_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)


 『パンチ』には多くの諷刺画(caricature)が掲載されていました。
 また、幕末に、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の特派記者として日本にやってきたチャールズ・ワーグマンが、1861年、自分で多くの諷刺画を載せた『Japan Punch(ジャパン・パンチ)』を創刊し、1881(明治20)年まで横浜で発行します。
 これがもとになって、幕末から明治の初期にかけて、英語では本来カリカチュアと言われるものが、日本では「ポンチ」と呼ばれるようになります。「punch」を「パンチ」ではなく「ポンチ」と読んだんですね。
 幕末から明治の10年代にかけては、浮世絵師と戯作者のコンビネーションによる諷刺表現がさまざまにあったのですが、それらにもこの「ポンチ」の言葉が用いられるようになります。「戯画」とか「狂画」という言い方もあったのですが、そこに「ポンチ」とルビを振ったり、「放痴」とか「凡痴」といった当て字が使われたりもして、「ポンチ」は広く諷刺画・戯画を指すものとして用いられていたようです。また、「ポンチ」のみで使われる方が先で、「ポンチ絵」と「絵」をつけて言うようになったのは少し後のようです。


 一方「漫画」は江戸時代から言葉としては用いられていましたが、カリカチュアに当たるものとしては用いられていませんでした。
 「漫画」をカリカチュアに当たる言葉として用い始めたのは福沢諭吉が創刊した新聞紙『時事新報』でカリカチュアを手掛けることになった今泉一瓢のようです。明治23(1890)年のことです。


 明治期の国語辞書に載っている「ポンチ(絵)」や「漫画」といった言葉の記載を調べたことがあるのですが、日本の近代国語辞書の最初といわれる大槻文彦の『言海』(四分冊で明治22年から24年にかけて刊行)にはすでに「ポンチ」の項があり、「ポンチ(名)〔英語Punch〕西洋ニテ、人形芝居ニ、戯謔[ルビ:オドケ]ヲナス者。又寓意アリテ世ヲ諷スル戯畫ヲモイフ。鳥羽繪ノ類。」とあります。「世を諷する戯画」ですから、カリカチュアですね。一方「漫画」の項はありません。
 山田美妙の『日本大辞書』(明治25-26年)、藤井乙男・草野清民編の『帝国大辞典』(明治29年)、大和田建樹の『日本大辞典』(明治29年)も同様です。
 明治31年の落合直文『ことばの泉』になると、「ポンチ」の項が「ぽんち『英語』【名】(一)芝居などにて、おどけの藝をなす人。道化人。(二)ぽんちゑの畧。」となり、「ポンチ絵の略」というのが出てきます。そして「ポンチ絵」として「ぽんちゑ【名】おどけを交へて、世上の事を諷したる繪畫。」という項ができます。もともとは「絵」がついていなかったはずなんですが、このあたりで、「ポンチ絵」の「絵」が略されたのが「ポンチ」だと言われるようになったものかと思われます。ま、この辺、辞書の刊行年にほんの数年の差しかありませんし、辞書の編纂には何年もかかるので、もっと網羅的に当時の新聞・雑誌にもあたる必要がありますが。で、『ことばの泉』には「漫画」はまだありません。


 つまりカリカチュアの訳語に当たる言葉としては「漫画」より「ポンチ(絵)」の方が古い。今回の伊藤さんの問いかけのながれで「ポンチ絵」を「マンガの蔑称」と言っている方もおられましたが、これだと「漫画」が先にあって、それに対する蔑称として「ポンチ(絵)」が出てきたようにも取れます。順序はむしろ逆で、一瓢は自身の諷刺画を「美術」としての「絵画」の一ジャンルであることを主張するために「漫画」という言葉を使い始めたようです。「ポンチ(絵)」という言葉の語感と、その名で呼ばれている諷刺画の通俗性を嫌ったのではないかと思います。
 実際、一瓢は黒田清輝が興した洋画新派の団体・白馬会に参加し、その展覧会に自身の「漫画」を出品したりしています。
 そんな経緯もあり、『時事新報』は「漫画」の語の普及に大きな役割を果たします。一瓢の後、同紙で「漫画」を担当した北沢楽天の「時事漫画」欄が始まるのは明治35(1902)年ですが、この時点ではまだ「漫画」に「ぽんちえ」とルビを振ったりもしていて過渡期的な時期であったことがうかがえます。
 大正期に入ると少なくとも新聞紙の世界ではすっかり「漫画」が定着し、「ポンチ(絵)」はまさに「漫画」の蔑称や古い言い方に当たるものになっていったようです。


 辞書的には明治40年の金澤庄三郎編『辞林』が「漫画」の項を設けた最初のようです(正確に言うと、「漫画」にはもともと鳥の一種としての意味があり、その意味での記載は『言海』より前に出た高橋五郎『いろは辞典』にあります)。『辞林』では「まんぐわ〔漫畫〕(名)いたづらがきの畫。又、滑稽なる畫。「北斎――」。」とされており、一方、ポンチ(絵)については「ポンチ(名)((「イギリス」語Punch))西洋の人形芝居のおどけものの稱。又、寓意諷刺の畫。」、さらに「ポンチ」の小項目として「――・ゑ(名)俗に滑稽なる畫の稱。戯畫。」とあります。
 この後は、どの辞書もほぼ同様の記載が「ポンチ(絵)」と「漫画」について行われています。


 変化があるのは昭和10(1935)年の新村出編『辞苑』で、「ポンチ」が「ぽんち〔Punch〕(名)(一)孔をうがつ道具。パンチ。(二)ソーダ水に果物汁と砂糖とを加へてつくった清涼飲料。パンチ。(三)西洋の人形芝居の道化役者。(四)ポンチ畫。」となり、「ぽんち」中の小項目として「――え ・・・ゑ〔――畫〕(名)寓意・諷刺の滑稽な畫。漫畫。」という記述になります。「ポンチ」の方では「ポンチ絵」以外の用法が先に出てくるようになっていて、諷刺画の意味では「ポンチ絵」とするのが一般的になっていることがうかがえます。
 調べたのは昭和の戦前までなので、戦後の変化は追ってません。が、今回、ネットで引ける辞書を見ると、「デジタル大辞泉」では「1 風刺や寓意を込めた、こっけいな絵。漫画。2 概略図。構想図。製図の下書きとして作成するものや、イラストや図を使って概要をまとめた企画書などのこと。◆1は、英国の風刺漫画雑誌「パンチ(Punch)」からとも、またはこれにならって文久2年(1862)ごろに英国人ワーグマンが横浜で発刊した漫画雑誌「ジャパン‐パンチ(The Japan Punch)」からともいう。」となっていて、今回話題になった「2 概略図。構想図。製図の下書きとして作成するものや、イラストや図を使って概要をまとめた企画書などのこと。」の意味がちゃんと拾われていますね。


http://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%81%E7%B5%B5?dic=daijisen&oid=17155100


 多くの場合、省略と誇張が施された線画による諷刺表現が「ポンチ絵」でしたから(正確には明治を通じていろいろ表現様式の変化はあるのですが)、「諷刺」という目的の方は外れて、わかりやすく、また簡略に描くという様式の方が意味として残るというのも不自然なことではないですが、伊藤さんも引いているグーグルの画像検索結果を見るとほんとに幅広く現役でこの用法が生きていることが分かって面白いですね。


https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%81%E7%B5%B5&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=7abSUr--KIyPlQW9_4DYBA&sqi=2&ved=0CAcQ_AUoAQ&biw=1280&bih=634