宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

「スタジオ・アッズーロ展 KATARIBE」(@川崎市市民ミュージアム)に行ってきました

 明大和泉キャンパスでは明日から3日間学園祭。今日は午後から準備のための休講。今年は残念ながらゼミでの出店は抽選に外れてできなかったので特にゼミとしての動きもないということで、川崎市市民ミュージアムで行われている「スタジオ・アッズーロ展 KATARIBE」に行ってきました。
 特設サイトはこちら。


http://www.kawasaki-museum.jp/azzurro/index.html


 これ、正直、何か面白そう、そして映像を使ったインタラクティブな作品・展示なんだろうな、ということくらいしかよく分からないのですが、実際行って見て、確かに広報の難しい内容だなと思いました。でも、いい展示でしたよ。


 床に投影された水たまりを踏んで歩くと足跡がついていく作品とか、壁に投影されている坂道を上っている人たちに触れると、その人が立ち止まってこっちを向いて、自分のことを語り出す作品とか、そんな感じの、こっちが働きかけると向こうが応えるインタラクティビティを持った大きな映像作品で、大きく4つのコーナーに分かれていました。


 最初、正直、あ、これだけ?って思ったんです。インタラクティビティっていう点では、今の現代美術の世界は日進月歩で新しい表現が実験されているので、それほど斬新な仕掛けでもなかったですし。
 でも、途中で、あれ?これはインタラクティビティの部分より、「内容」に意味があるんだな、と気付きました。副題に「KATARIBE」とあるように、後半の二つの大きな作品は、いずれもある特定の土地とその記憶をめぐる、さまざまな人々の語りがその内容になっていて、映像を見ながら、その語りにゆっくりじっくり耳を傾けることで、初めてその意味が十分に体感されるようになっているんですね。
 作品が要求している鑑賞の速度というのが歴然とあって、それは、インタラクティブな映像作品という先入観から僕が持っていた速度感よりずっとゆっくりしたものだったわけです。それに気付いてうまくチューニングできたところから一気に、内容に引き込まれました。


 特に、最後のイタリアの歴史ある地方都市を題材にした「センシティブ・シティ」という作品には、ハマりました。
 大きなスクリーンを歩いている人々に触れるとこちらを向いて語り出したり歌い出したり演奏し出したりする、だけでなく、その人が描いたと思しきその街の一部の地図がだんだんその人の背後に広がり出す映像と、テレビモニターを使った映像との組み合わせになっています。そのテレビモニターの方の映像では、画面の左側でその街についての自分の経験や記憶を語る人の映像が、画面の右側でその街をカメラがゆっくりと移動していく映像が、展開するのですが、字幕が付いていたこともあって、かなりの時間をかけて一周する語りに、本当に引き込まれました。
 ルッカとかトリエステとか、名前くらいは聞いたことがあるイタリアの古い街に刻まれた歴史的な記憶とその街独特の空気感について、その街で生きてきた人々が自分自身の身体的な記憶と結び付けて、すごく味わい深い語りを繰り広げるのを見て、聞いていると、もうどんどんどんどんルッカとかトリエステに行きたくなってくるんです(笑)。


 よく言われることですが、ヨーロッパは石造建築の文化があるので、古い町には古い建物がたくさん残っていて、街が刻んできた歴史がそのまま重層的に、今も人々が生きる空間として積み重なっているんだなっていうのを改めて実感しましたし、逆にこの手法で、日本の歴史ある地方都市で同じ試みをするとどんな感じになるんだろうと思ったりもしました。


 11月4日で会期が終了してしまうので、ご興味のわいた方はぜひ足を運んでみてください。インタラクティブな映像系現代美術に興味のある方だけでなく、ドキュメンタリー映画や、人と土地と歴史と記憶といったテーマに興味のある方に強くお勧めしたい内容です。