宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

卒業式でした!



 26日は明治大学の卒業式。国際日本学部の1期生が卒業しました。僕にとってもこの大学に来て初めての卒業式。感慨深かった…というより、えっ?もう?という感じの方が強かったです。
 東京に戻った夏に三男が生まれたり、ようやく新しい大学に慣れて来たかなってところに震災があったり、学生部委員としての仕事が思った以上にハードだったり、武富健治の世界展に全力投球したり。北九大での最初の2年間以上に怒涛の日々だったので、ほんっとにあっという間でした。
 

 東京六大学の一つ、それも新設の学部。どんな学生たちなんだろうと、少しおっかなびっくりで始めたゼミでした。
 最初のコンパがカラオケ居酒屋にセッティングされて、おお、さすがにテンション高いな、と思ったり、プレゼンやディスカッションに物怖じしない感じはさすが、と思ったり。
 でもその分、北九大の僕のゼミの学生たちより、「ゼミ以外の楽しいこと」もたくさんあるようにも思えて、やっぱり都会には快楽がいっぱいだーと思ったり、なのにゼミは必修じゃないからやめようと思えばやめられるし、卒論も科目として立てられてないから必死で書いても単位にならないし、そんなんで2年間つなぎとめられるんだろうかと不安になったりもしていました。
 特に、ものすごく大きかったのは、北九大と違って、明大では先生の研究室に学生が入ってはいけない決まりになっていたことです。北九大では研究室をマンガ喫茶状態にすることで、来たい学生はしょっちゅう部屋に来て、別に僕と話さなくても学生同士の居場所にしていて、授業としてのゼミの時間以外にも、しょっちゅうゼミ生同士がしゃべることのでき時間と空間ができていたので、これは痛かったです。


 で、実際、北九大の時と同じ授業のやり方ではどうもうまくいかないらしい、と気付き始めたのは1年目の2学期でした。研究室をたまり場にできない、という不利な条件を克服する工夫を授業や課外活動で作らなければいけなかったのに、やってなかったのですから当然です。
 が、こちらの精神的余裕も足りず方向転換できない状態だったところ、1年目の終わりで、3人がゼミをやめることになりました。2年目に入っても1人やめてしまいました。全く、僕の力不足、柔軟性不足だったと思います。やめてしまった学生たちにも、後ろめたい気持ちを持たせてしまったかもしれません。だとしたら、ここで今お詫びしても仕方ないんですが、お詫びしておきます。


 そんな中、去年の3月11日の地震があり、大学の新学期開始が1カ月遅れるという事態になりました。
 ゼミをどうにかしないといけない、という危機感と、震災対応という異例の事態への意識が、自分の中でどう共存していたのか、混合していたのか、今にわかには思い返せないのですが、結果的に4年生の新学期はかなり強く、「一からやり直す」という意識を持って臨んだと思います。実家が被災した学生が二人いたのもその意識を強くさせました。
 それが功を奏したのか、それとも単に学生たちが意識を変えてくれたのか、あるいはすでにそれ以前からゼミに残った学生たちの間にはきちんと共有されるものがあったのか、わかりませんが、ともあれ今年度のゼミは、本当に楽しくやれたと思います(ま、それでも1人やめることになってしまって、そこはやはり忸怩たるものがあります)。


 卒論も、本当にみんなよくがんばってくれて、充実した卒論集ができました。『maps』というタイトルになりました。



 学外の方にも買っていただけるようにしたいと思いますので、また告知したいと思います。


 北九大の時から毎年卒業式の後のエントリで書いているような気がしますが、ゼミ運営って難しいんです。少なくとも僕にとっては。講義はわりとうまい方だと思うんですけど。
 何も悔いのない、自慢できる指導を2年間通してやれたと言えるようになる日は果たして来るんだろうか、と思ってしまいます。それくらい難しい。必ず何かしら「ああ、あそこでああしたのは間違ってたかも」などと思うことがあります。
 それでも、毎年、去年の学年にはできなかったことを、と考え、工夫はしています。明大に移って始めた新しい試みとしては、ゼミのホームページを学生自身に作らせ、ゼミブログをまめに更新させる、というのがありました。最初は不安もありましたが、結果的に、これはすごくよかったと思います。


1期生のホームページ
http://miyamoseminar.web.fc2.com/


1期生のゼミブログ「みやもーど」
http://miyamoseminar.blog133.fc2.com/


 そして毎年、卒業式の日には、学生たちは心のこもった記念品だったり工夫を凝らしたアルバムや寄せ書きだったりを贈ってくれるのです。なんて幸せな仕事だろうかと思います。今年も、もらいました。うれしかったです。


 明治大学の卒業式は学生が多いので午前と午後の2部に分けて、武道館で行われます。
 国際日本学部は午後の部でした。九段下の武道館から駿河台キャンパスにぞろぞろ移動し、学部ごとの学位記授与式が行われます。そこで一人一人に卒業証書が手渡されるわけです。
 学位記授与式の会場になったアカデミーコモンの外では、2期生たちが、お花を持って待っていてくれました。
 

 
 ミヤモトゼミの学生には、教師がいきなりカメラを向けて「はい、じゃあ、面白い感じで」とムチャ振りするという試練があります。1期生は2年間、2期生は1年間、鍛えられた結果がこれです。すばらしいですね。この笑いに対する意欲(笑)とタテのつながりは、ウチのゼミのほんとにいいところだと思います。


 夜の打ち上げでは、サークルの打ち上げと重なっている学生も、みんな時間を調整して集まってくれました。
 北九大の時は毎年、学位記授与式の後、キャンパスの絵になるところで写真を取って、そこでみんなに少し話をするのですが、昨日は時間的にそれができなかったので、打ち上げの最後に、もうみんな酔っぱらってたけど、話をしました。
 打ち上げは2年以上前、まだ新学期が始まる前、最初の顔合わせのコンパで使った歌舞伎町の謎のカラオケ居酒屋にしたので、結構「来る」ものがありました。そして自然と、僕の話の後、じゃあ、みんなも一言ずつ、ということになりました。これはその後の時間を気にしなければいけないシチュエーションだった北九大の時にはなかったパターンで、かえってよかったです。
 ゼミブログの最終回シリーズでも、一人一人の思いは書きつづってくれてますが、ゼミ生と僕しかいない、という空間の中で、おたがい顔を見合わせながら発せられる言葉は、すごくよかった。泣いちゃうやつも何人かいたり。せっかく盛り上がってるのに、何度も退出まであと何分と知らせて来る店の内線電話が鳴って腰砕けになるのも、ウチっぽくてよかったです(笑)。
 僕の話自体は、何だか今思い返すと要点がはっきりしなくてパッとしなかった気がしますが(笑)、学生たち同士の言葉が積み重なってできていくすごくよい時間と空間が、共有できたので、それに勝る締めくくりはなかったです。
 でも、考えてみれば、教師の語る言葉より、学生たち自身が発する言葉の方が、ゼミの空気を高めていく力が強いっていうのは、むしろゼミナールというものの趣旨からしても、いいんじゃないでしょうか。カリスマ教師とその信者たち、みたいなゼミも世の中には稀に存在したりしますが、教師はぐだぐだでも、その結果学生たちがしっかりしちゃう、とかの方が教育のあり方としてはのぞましいはずで、昨日の最後はそれが実感できて、ほんとにうれしかったです。みんなありがとう。


 しょっちゅう会いに来てくれてもいいし、忙しければ来てくれなくてもいいです。マメにメールしてくれたり、SNSでやり取りしてくれてもいいし、してくれなくてもいいです。この先何度も何度も会うかもしれないし、万が一、二度と会う機会が得られなくても、この2年間、一緒にゼミをやっていたという事実は消えません。場所が分かれても、心が別れなければ、いいんです。ご卒業、おめでとうございました。