宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

サントリー学芸賞はその歴史に大きな汚点を残した

 と思います。

サントリー学芸賞に7氏」
http://www.asahi.com/culture/update/1108/019.html

「第28回サントリー学芸賞の決定」
http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630.html


 今回の「芸術・文学部門」の受賞作の一つである、竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社)が、この受賞にふさわしいレベルの著作でないことは、「恍惚都市」の下記のエントリにまとめられた、いくつかのブロガーたちによる議論や、「白拍子なんとなく夜話」のエントリを見れば明らかです。

http://d.hatena.ne.jp/komogawa/20061109
http://d.hatena.ne.jp/y-shirabyoushi/20060309

 今回この著作を受賞作に選んだ「芸術・文学部門」の選考委員諸氏(大岡信大笹吉雄高階秀爾芳賀徹三浦雅士、渡辺裕)に、マンガの評論・研究を評価する資格がなかったことは、下記の三浦雅士氏による選評を見れば明らかです。

http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630-2.html#takeuchi

かくしてこの半世紀、日本の文化はストーリーマンガによって益するところきわめて大であったのだが、にもかかわらずマンガ評論はまことに乏しい。あっても、安保世代、全共闘世代というような意識でマンガを論じるものばかりだった。自由民権の闘士が浮世絵を論じているようなものだ。事態は、海外に流出することによってはじめて浮世絵の価値に気づいた明治時代にどこか似ているのである。

 一体いつの時代の話をしているのでしょうか。サントリー学芸賞は今から12年も前の1994年に「社会・風俗部門」で大塚英志氏の『戦後まんがの表現空間』に賞を出しているのです。「芸術・文学部門」の選考委員は他部門の過去の受賞作など一切無視しているのでしょうか。かつての『現代思想』編集長であり、現在も『大航海』編集長として、東浩紀氏や北田暁大氏に誌面を与えていながら、このマンガ論に対する無知蒙昧ぶりはほとんど信じがたい水準であると言わざるを得ません。また、同じ選考委員の高階秀爾氏は、1998年の第51回美術史学会全国大会シンポジウム「美術史からマンガを考える」のコメンテータの一人として、当日会場に来ていた夏目房之介氏とも言葉を交わしていたはずです。このシンポジウムでは私ミヤモトも発表しましたし、それなりに画期的なものだったと思います。この時の議論の水準を、どこかで踏まえた上でこの著作を読むことはできなかったのでしょうか。
 問題は、決してマンガ論の現状を知らなかったことにとどまるものではありません。なぜなら、マンガ論の現状など知らずとも、この著作には、学術的な著作として致命的な、様々な欠陥、すなわち、分析概念のあいまいさ、論証の手続きのずさんさ等、上に挙げたブロガーたちに指摘されている様々な問題を抱えているのであり、これは、この著作だけをきちんと読み込めば気づくはずのものです(その意味で、同じようにこの著作を朝日新聞の書評でほぼ手放しで絶賛していた中条省平氏にも心底驚かされました)。特に、手塚の仕事の歴史的意味を再検証しようとする際に、手塚自身の自己申告をほぼ無批判に「根拠」扱いしていく手順など、文学でも歴史学でも、およそごく古典的な意味で「実証的な」研究の手続きに通じている読者なら、すぐにおかしいと思わねばならないはずです。これが仮に美術史の著作なら、高階氏や芳賀氏がそれを見逃すはずはないし、哲学・思想系の著作なら、三浦氏が見逃すはずはないと思われます。
 にもかかわらず、選評の中で三浦氏は、「説明はきわめて論理的で、たとえば手塚治虫がいかに巧みに映画の手法を取り入れたかの説明など、まさに水際立っている」などと述べておられるわけで、要するに、選考委員はこの著作を今までこの部門では受賞作のなかった後発の分野の著作として、甘く採点していたのではないかという疑念を抱かざるを得ないのです。
 ちなみに、12年前の『戦後まんがの表現空間』の選評は以下で読めます。

http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/sha_fu0033.html

 今の大塚英志氏に口を極めて罵られそうなロジックの中に強引にこの著作を落とし込んで理解しているこの選評も相当なものですが、日本におけるマンガの隆盛を、東洋・日本の文字文化とからめて論じて見せるレトリックなど、そっくりです。

マンガと活字は元来は同じである。特に漢字はそうである。人、女、林などはそれ自体がマンガと同じく絵なのだから、情報伝達機能にそう差はないのだが、マンガの方は急速に進歩・発達して活字よりはかに豊富で鮮烈な情報を伝達するようになった。(日下公人氏による『戦後まんがの表現空間』評)

表意文字表音文字を組み合わせることによって成り立っている日本語は、いってみれば、ストーリーマンガの源泉なのだ。日本語は視覚と聴覚をともに刺激しつづける言語なのであり、その土壌からは、ヘンタイ少女文字であれ、携帯電話の絵文字であれ、一押しすればマンガに移行しそうな文化が簡単に生まれてくるようにできているのである。まさに日本語の富だ。(三浦雅士氏による『手塚治虫=ストーリーマンガの期限』評)

 日下氏が、もとは「絵」であった「漢字」の「活字」化したものを、マンガが、その情報伝達機能において凌駕していると述べるのに対して、三浦氏が漢字かな交じり文をマンガの「源泉」とみなしているように、この両者だけ見れば、わずかに三浦氏の方が「マシ」な議論をしているようにも見えるものの、三浦氏のこの議論自体、養老孟司氏が何度も、そして実はさらにさかのぼって『現代マンガの全体像』(1986年)で呉智英氏が、述べていることの劣化したコピーに過ぎません。
 そして、いずれにしても、このように安易に、東洋・日本の文字文化とストーリーマンガの隆盛を関連付ける議論に対する適切な批判は、すでに夏目房之介氏によって、何度も繰り返されているのですが、「漫棚通信」で批判されているように、竹内一郎氏もまた、「東洋には墨絵の伝統があった」などと、唖然とするような安易極まる文化論への落とし込みを行なっています。
 こうして、「夏目房之介以前」と言うほかないレベルの著作が、マンガ論の蓄積など大したことはないだろうと思い込んだ(としか思えない)選者たちによって、人文社会科学の世界でかなり大きなプレゼンスを持つこの賞を与えられることになってしまったわけです。
 ここで付言しておかねばならないのは、この著作が、九州大学の大学院に提出された博士論文をもとにしたものである、という事実が、今回の選考において、これらの選者たちの判断を誤らせた原因のひとつである可能性です。
 私は、仮にも旧帝国大学のひとつが、このようなレベルの著作に博士号を授与してしまったことは、大きなスキャンダルであると言ってよいのではいかと思っていました。そのため、春休みに、この著作の原型となった博士論文そのものを国会図書館の関西館に閲覧しに行ったりしていたのですが、4月以降、勤務校の異常な忙しさのために、この著作とこの著作に博士号を出してしまうことの問題点を詳細に検証する機会を持てずに来てしまいました。もし、この著作を、「九大の博士論文」である以上、学術的な著作としての問題点はクリアされているはずだと思い込んで読む人が少なからずおり、今回の選考委員の目をも、同じ理由で曇らせていたのだとすれば、九大でこの論文の審査に当たった人々の責任も問われなければならず、専門的なマンガ研究者として大学に籍を置いていながら、結局この問題をきちんと追及せずに来た、私ミヤモトにも、責任の一端はあると思います。
 その意味で、ことは、単にサントリー学芸賞のみの問題ではなく、今日のアカデミズムにおけるマンガ研究全体の問題でもあります。要するに、私を含む、大学でマンガ研究をしている人間たちがもっとしっかりしていれば、そしてせめて私レベルの研究者が、あと数十人いてくれれば、こんなことは起こりようがなかったわけです。残念です。そして、悔しいです。このことを、自分自身の問題として重く受け止めたいと思います。