宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

ということで

原稿用紙にして30枚を超える分量の文字を消費して語り倒してきましたが、いかがだったでしょうか。本当に「マンガ批評の最前線」の看板に偽りない記念碑的な特集だと思います。興奮させられるのは、残念ながらこの特集に名を連ねていない優れた書き手が、日本のマンガ論にはまだまだいると断言できることです。「若手」に限って言っても、秋田孝宏さんしかり、小田切博さんしかり。もちろん「若手」じゃないですが、もうすぐ待望のエロマンガ論をお出しになるようなので名前を挙げさせていただくと、永山薫さんしかり。ブロガーで言えばid:nanariさんしかり。長らくマンガ論の状況にいらだち続けてきたものとしては、これはほんとに嬉しいことですし、また、いい意味で緊張しますね。
あ、あと言っておきたかったのは、今回、15人中6人の書き手が女性だということです。日本のマンガ論の致命的な欠陥の一つは慢性的な女性の書き手の不足だったと思います。少女マンガというジャンルがあるのに、とかいう単純な話ではなく、むしろ、「少女マンガは女性が語るべき」とか、「女性なんだから少女マンガを語るべき」というような、それこそ固定された性別役割が期待されがちな空気がマンガ論の場には少なからずあったと僕は感じていて、それを軽々と乗り越えるような、ヤマダさんや青井どりさんのような書き手がもっともっと出てくるべきだと思っています(その意味でも、昨年NIKKEI NETの連載でデビューされた川原和子さんには注目です)。
これももちろん、「女性特有の感性」が無条件に存在すると思い込んで、その「女性特有の感性」で男性向けマンガも語ってほしいみたいな期待として受け止められると困るんですが、肉体的に女性として生まれたことで、社会的にも女性としてふるまうことを要求される中で、そのことと、一人ひとり違った、それぞれなりの仕方で向き合ってきた書き手にしか見えないこと・言えないことというのは、やはりあると思うんですね。
で、そういう人の書くものにふれることは、必然的に男性の書き手にも自らのセクシュアリティジェンダーと向き合いつつ書くことを、意識させるようになると思うんです。僕自身、それがあんまりきちんとできてないという自覚があるので、余計にそう思います。もしかするとこういう物言い自体が問題なのかもしれないんですが。

そんなわけで、思いがけず長くなってしまいましたが、この連続エントリはこの辺でお開きということにしたいと思います。最後までお読みいただいたみなさん、ありがとうございました!そしてまだお買い求めでないみなさん、「ユリイカ」2006年1月号を、ぜひ!